俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

「日本死ね」は他責だ。他責は麻薬みたいなものだ。

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どうも。

空前の「日本死ね」ブーム

巷では空前の「日本死ね」ブームが巻き起こっている。私はその波に乗り遅れてしまっているのだが、機会を見て何か「日本死ね」と思えるようなことを記事にしたいと思う。きっとPVが稼げるだろうから。あれか、適当な記事の末尾に「日本死ね」と入れておけば勝手に読まれるようになるんじゃないか?今から全ての記事に入れておくか、「日本死ね」。

そんな戯れ言はさておき、この「日本死ね」には非常に違和感を感じる。違和感なのだから感じて当然なのだけど。頭痛が痛い。後で後悔。馬から落馬。そんな感じだ。

保育園に落ちたという例のやつからこのブームは始まっており、今ではテンプレのようになっている。テンプレは便利だ。

多分みんなスベりたくないんだと思う。テンプレさえ使えばそこまでひどいスベり方はしない。面白いことを思いつかなければテンプレに沿えばいい。頭を使う必要がない。

 

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みんな頭って知ってる?一回使ってみな。便利だから。

「日本死ね」という「助けて」

この「日本死ね」という感覚は、学校に行きたくなくて「今日、地球が滅亡すればいいのに…」と考える小学生のようなものだと思う。自分の不幸をさらに大きな不幸で木っ端微塵にしようという考えだ。素晴らしい。目には目を、歯に歯を。ハンムラビ法典シンパだなさては。

 

私は職場で多数の部下を抱えており、よく愚痴や不満を聞かされることがある。うんざりするが仕事なので仕方なくいやいや義務感に押さえつけられながら話をぼんやり聞くのだが、大抵みんな怒っている。「日本死ね」とまで過激な発言はしないものの、話をしている彼らから感じるのは基本的に怒りだ。だが、話の内容を聞いていると「もっと改善してほしい」「やりにくい」といった、「助けて」であることが多い。

この現象はよく見られ、私の中で「みんな助けてって言えない代わりに怒りを表現するんだなあ」という認識ができあがった。

なのでこの「日本死ね」系を見ると、「ああ、助けて欲しいだけなのに素直になれないんだな」と思う。

でもよく考えてほしい。例えばあなたが山道を散歩していて、崖で落ちそうになっている人がいたとする。海で溺れかけている人がいたとしてもいい。その人がピンチになりながら「てめえ、助けろよ、死ね!死ね!」と叫んでいたとしたら助けるだろうか?

多分、私だったらその場で腹を抱えて笑うことだろう。きっとその間にその人は落下する。

自力と他力

あとはみんなが大きく勘違いしていることがある。それは自力と他力の違いだ。

人生というのは荒波に例えられるように、容易に私たちを翻弄する。時には自分の不幸を嘆きたくなるほどだ。

だがこれも人生の厳しい所なのだが、嘆いた所で事態は何も改善しないのだ。もしかしたら優しい誰かが手を差し伸べてくれるかもしれない。しかしそれは運に身を任せているようなものだ。基本的に嘆いている人に手を差し伸べてくれる時というのは、美男美女の場合だけだ。だからこれから嘆こうとしている人は、その前に整形することをオススメする。

人生という荒波に抵抗するべく、私たちには自力というものが必要になる。というか自力しか必要ない。他力というのは協力を仰いだり、信頼関係を築き上げたりするという「自力」の先にしかないのだ。全てのスタートは自分からだ。

自力を発揮できない人間は永遠に進めない。マリオが「何だよこれ、なんでみんな俺の邪魔ばっかりするんだよ」と駄々をこねていたら永遠にゴールできないのだ。進め、コイン取れ。そして大きくなれ。マリオの話じゃない。「日本死ね」とかのたまっている、あんたの話だ。

他責はクセになる

「こんな状況になったのは自分のせいじゃない。全部周りが悪いんだ!自分は頑張ったのに…」

こんなふうに他責にする考え方は非常に危険だ。なぜかと言うと、クセになるのだ。

人生の全ては自分の責任だと考えるのは重荷だ。覚悟が必要になる。

だが、他責というのは一時的にでもその荷物を降ろしたような気持ちになるので、不幸を嘆きたい人にとっては非常に甘美だ。しかしそれは「降ろしたような気になっている」だけで、実際には人生の責任を降ろすことなど不可能なのだ。それこそ死ぬ以外に方法はない。

このとっても気持ちのいい”他責”というやつはクセになる。そしてクセは人格に影響する。人格は人生に影響する。

 

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自分に素直に

何も嘆くなと言っているわけではないのだ。別に他責は本物の麻薬ではない。依存しないとこはいくらでもできる。

疲れてしまったときはそっと嘆けばいい。誰かのせいにしても構わない。時には休むことも必要だ。ただ、大々的に「日本死ね」という必要がないのだ。

そういう時は素直に「助けて!」と言えばいい。それなら美男美女じゃなくても成功するだろうし、手術費用もかからない。とってもコスパがいい。

とにもかくにも、自分の心に素直になることだ。それが一番大事だと思った次第だ。

 

ちなみに今回の記事はこちらの記事に触発されて書いたものになる。Shinさんという私のようなポンコツとは対極にいるような優秀な方が書かれた記事だ。

www.outward-matrix.com

私のブログなんかよりも遥かに読む価値があるので、ぜひ目を通していただきたい。きっとその明晰な頭脳と、なんとも柔らかな人柄に惹き付けられることだろう。

 

ということで、自力で生きていこうと思っている私は文末に「日本死ね」と入れるような愚行は犯さない。やりたいやつが勝手にやってくれ。そして他責という麻薬に酔いしれていただきたい。

ここまで貶しておいてなんだが、人生の楽しみ方は自由だ。誰に文句を言われるものではない。 私は遠くから、みなさんが素敵な人生をデザインしてくれることをひっそりと願っている。

 

以上、健闘を祈る。

 

 


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