俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

みんなで楽しみたい人VSひとりで楽しみたい人

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怒りをぶつけたいと思う。

 

 

二大派閥の終わりなき戦い

 

この世にはふたつの大きな派閥があることをご存知だろうか。

 

ひとつは、群れを作りみんなでテンションを上げることを「楽しい」と感じる派。

もうひとつは、ひとりで静かに(しかし内側では大盛り上がり)深く感動することを「楽しい」と感じる派。私は完全にこちら側である。

 

この2つの派閥は永遠に交わることがない。

いや、それは嘘だ。

基本的に「みんなで楽しもう派」が「ひとりで楽しみたい派」を侵略してくる。「ひとりで楽しみたい派」は穏健な人が多いので、目立った諍いに発展することは稀だ。だが聖域を侵害された「ひとりで楽しみたい派」の怒りは相当なものである。せっかく手にれた至福の時間を破壊されてしまうのだから、「みんなで楽しみたい派」で例えるならば、仲間の一人が盲腸で入院したぐらいの心理的ダメージだ。

 

しかし「みんなで楽しみたい派」はそんなことに気付かない。そして気にしない。

 

今回の記事では生粋の「ひとりで楽しいたい派」である私が代表して、「ひとりで楽しみたい派」が普段考えていることをまとめてみた。

 

もしこの記事を読んでいるあなたが私と同じ「ひとりで楽しみたい派」ならば、「あるある!」と笑っていただけたら幸いである。少しでもあなたの気分を軽くできたらこんな嬉しいことはない。

また、あなたがもし「みんなで楽しみたい派」だったとしたら、これを読んで少しでも我々「ひとりで楽しみたい派」を理解していただきたいと思う。

 

では行ってみよう。

 

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寂しくないから

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いつでもハッピーな気分でいる彼らからすれば、私たち「ひとりで楽しみたい派」は“寂しそうな人”に見えるらしい。だから人助けぐらいの気持ちでこちらに干渉してくる。

まず言いたい。寂しくない。なんなら寂しさを楽しんでいるぐらいだ。

「みんなで楽しみたい派」の人には理解できないだろうが、楽しいには色んな種類がある。悲しいだって、怒りだって、不快だって、理解不能だって、楽しむことができる。全部味が違うだけである。

寂しいことを悪いと決めつけないでほしい。

 

つながりは面倒

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「みんなで楽しみたい派」は人とのつながりを非常に大事にし、これを至上とする傾向がある。

それは構わない。好きにしたらいい。

でも私からすれば、彼らは“つながり”や“絆”といった糸が張り巡らされた蜘蛛の巣にいるように見える。がんじがらめだ。

別に本人がそれで幸せならそれでいいのだが、どうにも身動きが取りにくそうに見えてしまう。誰かの都合がつかないから中止だとか、変更だとか、みんなが楽しめるところ~、とか面倒なことが多すぎる。

ひとりであれば簡単。行きたいところに行く。食べたいものを食べる。楽しみたいものを楽しむ。

非常にシンプルだ。

 

まあ、世の中には縛られて喜ぶ人もいるしなぁ。

 

仲間に入れようとしないで

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「みんなで楽しみたい派」はとにかく数を囲おうとしてくる。それが「ひとりで楽しみたい派」だろうがお構いなしだ。まるで新政党である。

逆に私たちは数を極限まで減らしたい。一人じゃなきゃだめとまでは言わないが、厳選した数人がいれば十分だし、新規メンバーとかも募集していない。最大勢力になることにも興味がない。我々の興味は「いかに濃く、楽しむか」である。

数が多くなればそれだけ楽しみは薄まったり、不純物が混じるだろう。我々はそれを良しとしない。

ライブとかだって、会場で楽しむよりも、DVDを家で観た方がしっかり楽しめるでしょ。

え、みんなと楽しみたいって?ないわー。

 

連絡とかもしないで

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我々は外部からの刺激を求めていない。

なのに「みんなで楽しみたい派」は刺激してくる。つまり連絡である。こちらの都合などお構いなし。たいてい陽気だ。なんなのだろう、あのエネルギーは。ハロゲン電球を顔に押し付けられたような熱量を感じる。

話が逸れたが、とにかく我々は外部からの刺激を求めていない。せっかく自分だけの時間を過ごしているのだから、水を差すようなマネは謹んでいただきたい。

これは仕事中だろうが、プライベートだろうが変わらないので勘違いしないように。

 

お互いに電話の電源は切っておこう。これで解決である。

 

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テンションは上がりません

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我々に「キャッホーー」みたいなのは求めないでほしい。そんなテンションの上がり方はしない。

別にテンションが上がらないわけではなく、そのエネルギーは外ではなく、内側に行くのだ。つまり感動とか、興奮といった感情として“感じる”のだ。

だからハイタッチとか抱擁とか握手とか、全部いらない。

 

微笑み合うぐらいでちょうどいい。

 

友達になろうとしないで

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むかしこんなことがあった。

 

私の職場の先輩が極度の「みんなで楽しみたい派」だった。そして寂しがり屋だった。

その人は後輩である私に懐いてほしかったようだが、私はそういった可愛げみたいなものを持ち合わせていない。

それでも仕事中ぐらいは笑顔を見せたり、褒めそやしたりと顔を立てることに努めていた。それぐらいの社会性は身に付けている。

だがこの先輩、何を勘違いしたのか「休みの日に遊びに行こうぜ」と言い出した。当然、私は断った。そんな無駄な時間はない。

でも先輩は諦めなかった。休みの日に何度も電話をかけてきては、メールを寄越した。

私はそれをすべて無視した。もちろん次の出勤日には「なんで出ないんだよ~」と言われたが、「気付きませんでした」と言い張った。

そんなことを繰り返している内に、先輩なりに何か思う所があったのか、仕事帰りに神妙な顔で「ちょっといい?」と呼ばれた。

何を言われるのかと思っていたら、なんと「俺と正式に友達になってくれない?」と言われた。びっくりした。こんなことを言う大人がいるのかと。

 

私がなんと返事をしたのかはご想像にお任せする。

 

ただ、さきほども書いたが我々は数を求めない。

だから友達を増やすことにも価値を感じない。なので、余程の価値を見出さなければ新たな友人を作らない。

その敷居はかなり高いと覚悟してもらいたい。

 

まとめると、ただのワガママ

こうやっていちいち書き上げてみると、いかに自分が未熟な人間かよく分かる。どれだけ周りを受け入れる度量がないんだ、と。

もしかしたら私たち「ひとりで楽しみたい派」は、ただのワガママ野郎なのかもしれない。人と群れない代わりに、誰の面倒を見ることもしない。すべては自分が中心だ。

 

まあただ、そんなことを言ったところで、我々が欠損人間だとしても、そういう形に生まれて来てしまった以上、この不完全な形を愛するしかないだろう。

 

色々書いたが、とにかく私が一番伝えたいのは、

 

「ほっとけ」

 

ということである。

 

以上。

 

 

うーん、ハロゲン。 

 

 


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