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自分らしさってそんなに重要か?

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このブログにも、ブランド化しようとしていた時期がありました。

 

 

どうも。普通のおっさん、ひろたつです。この世で一番需要と供給のバランスが悪いのはおっさんです。誰か欲しがれ、おっさんのこと。

 

ブランド化する人々

自分らしさを求める人は多い。

特にブログ界隈ではよく「ブランド化」という名の自分らしさを求める人をよく見かける。差別化とも言う。

 

某イケハヤ氏にそそのかされた人たちの多くは、ブログの目的が金儲けになっている。

金儲けをしようと思ったら、信者(ファン)を作る必要がある。

信者を作るためにはブランドや権威というものが必要になる。

 

そんなわけでみんなこぞって、自分らしさを作り上げようと躍起になっている

 

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キャラクターがないと不安? 

ブログでは金儲けという目的があるので、自分らしさを求めるのはよく分かるのだが、これがブログだけに留まっていないようである。

ツイッター、FB、さらには日常生活でも「私はこういう人間です」という分かりやすい肩書を誇示する。キャラ付けをしたがる。

 

この現象はなんだろうか。

個性がないと評価されない世の中になってしまったのか?それともみんな他人を個性でしか評価できないから、自らにもそれを求めるのだろうか。

 

人間なんて玉虫色 

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今更私のような凡人に言われるまでもないだろうが、人間というのはキャラなんていう記号では収まるほど簡単なものではない。もっと多面的な存在だし、多くの矛盾を孕んでいる。

 

例えば、私というかこのブログでいえば、一番大きな看板は「本好き」であることで、実際にそれをウリにして、オススメ本の紹介をしている。そして売れている。

他人よりも本好きで、多くの本に触れているからこそ、その選球眼を信用していただいているのだと思う。

ただその「本好き」だって、そんなに簡単なものじゃない。

熱中しているときは幸せだが、つまらない本であればクソみたいな気分になるし、本を読み始めるときはいつだって面倒くさい気分になる。本自体を読みたくない気分になるときだってある。

なので「本好き」とは言っても、正確には「本好きな瞬間がある」というだけである。

 

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自分らしさの正体 

それだけではない。

みんな自分らしさを探しているが、そんなのは見つかるものではない。勝手に出てくるものだ。というか、もうすでに出ているだろう。

なので、自分らしさが見つからないとか言っている人は、灯台下暗し的な感じで気付いていないだけか、言語化できていないだけだろう。

それくらい「自分らしさ」というのは当然のように備わっているものだ

 

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あと考えられるのは、自分の理想としている自分らしさみたいなのがあって、それを探している場合である。だとすれば、そりゃあ見つからないだろう。だってないのだから。子供でも分かる理屈である。

人は意識無意識に関わらず、自分の見たいものを見るという。

見たいものが元々備わってなければ、見つかるはずもない。

 

でも、無いものを求めるという姿勢は素晴らしいと思う。人はそうやって成長するものだ。

それと同時に、自分の持っている今あるもので満足するできることも、また素晴らしい。足るを知る者は富む、である。

 

不安定であることの価値 

もしかしたら、自分らしさを求めている状態そのものが、あなたらしさという可能性もある。常に目的地を求める旅人のようなものだ。

旅人は定住することを手放す代わりに、刺激を得られる。不安定かもしれないが、それもまたその人の姿である。優劣はない。

 

自分らしさを無理矢理作り出そうとしてしまうのは、もしかしたらこの“旅人”の状態を耐えられないからなのかもしれない。不安定であることを認めるぐらいならば、仮面を被ったとしてもキャラクターを備えたい。そんな心理なのかもしれない。

それもまたその人の姿である。誰に否定されるものでもないだろう。

 

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ただ、私は自分らしさなんてものを求めることはもうすでに止めているし、むしろいつだってキャラクターが変わっていい。

現にこのブログでは、真面目に本について論じているときもあれば、下ネタばかりの記事だってある。キャラクターという記号を求める人からすれば面食らうかもしれないが、それが私である。

そのとき、そのときの一番面白いと思うことに飛びつくだけである。いちメディア運営者としては無責任かもしれないが、非常にラクだ。他人を視線を意識しないで生きるのはかくも素晴らしい。

 

キャラクターなんていう見た目よりも、優先することがある。

 

以上。