俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

偉い人とか成功してる人の話を聞いても偉くなれない、成功できない

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どうも。

 

世の中はありがたい話が溢れてる

自己啓発書やセミナーなど、世の中には「ありがたい話」が溢れていて、それで経済の一部が回っている。成功者が非成功者を餌食にするという図式である。

まあ世界は放っておくと弱肉強食になるのが自然なので、これもまた自然な姿だと言える。ご苦労様です。

経済活動にまとももクソもないのであれば、そういった姿もありなのだろう。個人的にはどうかと思っているが。

成功者の話は本当に有益か?

ところで本当に成功者の話というのは有益なのだろうか?

そこには知恵や示唆がたくさん含まれており、お金というこの世に唯一現存する魔法を費やすだけの価値があるのだろうか?もっと言えば、さらに貴重な人生という時間を切り出すだけの価値があるのだろうか?

私は成功談よりも失敗談の方が有益だと思っている。これは最近になって特に思うようなった。

というのも、成功者の成功パターンというのはもうすでに使われたものだったり、人脈や運によって支えられているものが多かったりする。かの松下幸之助が出会う人に対して「君は運がいいか?」と聞いていたというエピソードもある。それぐらい運は人生を左右するものだ。

だが、はてさてそんな話に、経験談に聞くだけの意味があるだろうか?

そして本当に人生を向上させるだけの力があるだろうか?

負けにこそ改善点がある

先日紹介した羽生氏の名著『大局観 』に書いてあったことだが、将棋には「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉がある。

これは、勝ちというものは時の運で転がり込んでくることがあるが、負けには必ず理由がある、という意味だ。

人は手痛い失敗をしたときにこそ、何かを学ぶし、それは他人の経験であったとしても同じである。

まあ大抵の失敗は金・努力・見当違い・欲、あたりに収束されるとは思うが…。

 

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触れることが快感なのかも

偉い人の話を聞いたり、「これが成功者のマインドだ」といったセミナーに行くと、何かしら素晴らしいものに触れた気になる。感動して気持ちよくなる。

それらは実際に素晴らしいものなのかもしれないが、重要なのは話を聞くだけなら猿でもできるということだ。感銘を受けたような気になるだけなら小学生でもできる。 気持ちよくなるだけなら中学生ぐらいからできはじめる。何の話かは知らん。

学生時代にもいなかっただろうか。イケてるグループにくっついているだけで、自分もイケてる存在になっているような気になっていた奴が。ああいうイメージがある。

触れるだけじゃ変わらない

世の中には素晴らしい人物も多いし、素晴らしいコンテンツもたくさんあるだろう。それは認める。

だが、素晴らしいものに触れるだけで素晴らしい人格になれたり、素晴らしい仕事ができるようになるわけではないので、勘違いしないでもらいたい。むしろ、「こんな話を聞いちゃう自分ってみんなよりも先に行ってね?」とか自惚れているようなら、程度の低い人間と言わざるを得ないだろう。

要は感度の問題 

ありがたい人の話をありがたがるのは権威に弱い日本人らしい習性と言える。思考停止とも言える。

実際にありがたい話になるかどうかは、実はその話を聞く人の感度の問題である。

私はさきほど「成功体験よりも失敗談の方が参考になる」と書いたが、これでもダメだと思う。どちらも自分の血肉に出来るだけの感度が必要だ。学ぶべきことを見つけられるかどうかはその人の真剣さや頭の使い方次第なのだ。

だからこそ、「この人の話だからきっと何か大事なことが含まれている」と決めつけてしまい、普段の生活の中では何も考えたりしないような人は、結局その場限りになってしまい、成功することなんて夢のまた夢である。それはそれで夢追い人という幸せの形ではあるかもしれないが。

 

以上。