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他人の死を大事にすると失礼になるときもあるという話

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どうも。

 

私は結構冷たい人間と思われることが多い。自分としては全然そういう自覚はなく、むしろみんなの方が遥かに冷たい人間だと思っている。

その例として挙げたいのが、他人の死についてである。

死を伝える役割

私はあまり他人の死に悲しまない。別に何かこだわりがある訳ではなく、本当に悲しみが湧かないのだ。もちろん近さには寄るけども。

 

先日、部下から「冷たい」と言われることがあった。

私の職場は製造業ということもあり、職場への私物の持ち込みは禁止である。もちろん携帯も同様である。なので何か外部から個人に連絡があるときは、私が直接伝えることになる。学校のようなものだと理解してもらいたい。

私は入社してからずっと部下を抱えているし、5年ほど前から抱える部下の人数は100を超えている。

それだけの人数がいると1、2年に1回ぐらいの割合で、身内に不幸があったりする。それを所属長である私が伝えるわけだ。つまり「あなたのご家族が亡くなりましたよ」と。

 

先日も同様に部下のひとりのご尊父が亡くなったと伝えた。部下はすぐに帰し、職場はそのまま平静を取り戻した。別に特に問題のある行動はどこにもなかったはずだが、その様子を見ていた部下曰く「ひろたつさんは冷たい」ということだった。

 

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なぜ悼まないのか?

「冷たい」と言ってきた部下との会話はこんな感じ。別にそこまで険悪なものではない。

 

部「嫌じゃないんですか?」

私「何が?」

部「家族が亡くなったって伝えることですよ」

私「別に平気だね。あんまり何も感じない」

部「でもその人からしたら一大事じゃないですか?それを伝えるのって結構キツイと思うんですけど」

私「まあそれはそうかもしれないけど、真っ先に伝えなきゃいけないことだし仕方ないよね」

部「そもそも何であんなに淡々と『亡くなったそうです』って言えるんですか?」

私「…どういうこと?」

部「もっと重大なことを伝える感じとか、悲しむ感じを出すとか…ないんですか?」

 

多分、彼(部下は男である)が言いたいのは「もっと悼め」ということなのだろう。それはそれで理解できる。だがあまり知らない他人の死を、ほとんど関係ない私が悼む行為自体が私は失礼だと思うのだ

死は軽んじるべきじゃない

まず大前提として、「他人の死は軽んじられない」というものがある。

人の死は関係があった人からすれば少なからずショックを受けるものである。その重さは他人が測れるものではないし、分かるものではない。

というのが私の前提である。

なので、「分かりもしないことに対して、分かったような顔はできない」ということになる。

悲しみは喪失感が生む

あともうひとつ付け加えたいことがある。

私は部下のお父さんとはまったく面識がない。つまり赤の他人である。いくら仕事上の繋がりがあるとはいえ、見たことも会ったこともない人の死に驚くことはあっても、悲しむことはできない。悲しみというのは喪失感がもたらすものだからだ。

だから悲しむこともできないし、悲しんでいる振りもできない。そういう態度は、一見して優しい人や心遣いができる人に見えるかもしれないが、実際は失礼極まりないと思う。だって「悲しんでいる」という嘘を吐いているのだから。

 

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気遣いは相手の負担にもなる

例えば私が部下にご尊父の死を伝えた時に相手がショックを受けていたとしよう。その姿を見て私が優しく寄り添い「大丈夫?」と声をかけたとしよう。みんなが大好きな気遣いというやつだ。

もし私が部下の立場であればこう思う。

「うるせえ。放っとけ」

日本では気遣いに対して、気遣いで返さなければいけないという習慣がある。気遣いを貰いっぱなしにするのはひどく失礼な行ないになってしまうのだ。

なのでそんな状況だとしても「大丈夫?」という気遣いを受けたら、「…えぇ…大丈夫です…」という気遣い返しをしなければならないのだ。これは面倒だ。余計な負担である。

やはりこういうときは淡々と伝え、淡々と送り出すべきだと思うのだが、私がおかしいのだろうか?

相手の悲しみを共有しろ?

もしかしたら「いやいや、部下が悲しんでいることに対して悲しめよ」と言われるかもしれない。

その意見も少々上品な言い方になるかもしれないがファックである。

他人と言えども誰かの死がそこにあるのだ。それにも関わらず、それよりも部下の悲しみを優先するのは気持ちが悪いだろう。点数稼ぎにしか思えない。稼げるとも思えないが。

大体にして私は悲しみを共有したいとも分かってもらおうとも思わない。奥さんとか家族であれば話は別だが、部下の、それもプライベートなことであれば踏み込まないし、踏み込めない。相手がどれだけ悲しむかなんて到底分からないのだ。不謹慎な話だが、もしかしたら喜んでいる可能性だってあるのだ。その場合はやっぱり一緒に喜ぶべきだろうか?備品にクラッカーでも用意しておこうか?

死は扱うべき人がいる

人はいつか死ぬが、誰しもの死が誰しもに関係があるとは言えない。お呼びでないときはあるのだ。身の程を知るとも言える。

それぞれの死に対し、悼むべきときがあるし、悼むべき人がいるのだ。それくらいの分別は身に付けたほうがスマートだと思う。なんでもかんでも悲劇にしたがるのは、日本人の悪いクセだ。中には笑いに包まれる葬式だってある。

 

『包帯を巻いてあげられないのなら、むやみに傷口に触れてはならない。』

   -三浦綾子

 

 

以上。