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「行列のできる店」というのはもう悪評だろう

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どうも。

仕事柄生産性について頭を使うことが多いのだが、世の中というのは生産性という観点から見ると、あまりにも愚かな行為が多い。長過ぎる通勤時間は言わずもがなだと思うが、個人的に一番違和感があるのは「行列のできる店」だ。

 

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夕方の番組なんかを見ると未だに「行列のできる店」を取り上げている。

この傾向はいつまで続くのだろうか?観ている人は本当にその情報を欲しがっているのだろうか?

このネット社会、美味しいお店や話題のお店には加速度的に人気が集中しがちである。すぐに行列ができる。誰も知らない名店なんてのはもはや存在しないのかもしれない。

まあこれはテレビで紹介されたりするたびに起こっていた現象なので、日本人の気質なのかもしれない。

大体にしてこの行列というものそのものが、頭が悪そうな感じがしてならない。

上で書いたように生産性の観点では最悪である。ただ食事を待つために人生を無駄遣いするというのは、贅沢じゃなくて浪費じゃないだろうか?贅沢というのはあくまでも対価を得るものであって、行列をなしてまで食べても「たかが食事」である。カロリーの摂取でしかない。

私が少食というのもあるかもしれないが、私はそこまで食に執着しない。食べ歩きもしない(できない)。本当に食事には時間を浪費するだけの価値があるのだろうか?少なくとも私にはない。

行列や評判だけを頼りに店を選び、無造作に行列に並ぶのは、「みんなが好きなものは私も大好きかも!」という期待がなせるわざなのだろう。自分の嗜好が常に大衆に寄り添っているという幸せな方ならそれでいいのだろうが、なかなかそう上手くはいかないだろう。もしかしたら「散々並ばされて苦労したんだから、これは美味しいはずだ!」と自分を納得させているだけかもしれない。

と書いてはみたものの、私も以前は行列のできる店に並んだ経験がある。2回だけだが、1時間超の待ち時間は苦痛の極みだったし、散々待った挙句に出てきた料理はやはり“そこそこ”だった。時間という名の人生を切り崩すだけの価値を見出すことはできなかった。

たぶん、行列のできる店的なものを楽しめる人とというのは、祭り好きなのだろう。その状況や雰囲気に合わせて“酔う”ことができる人だ。

私は酒も飲めないし、学生時代に卒業式のときに泣いている女子を冷めた目で見ていたし、体育祭のときも教室でUNOに興じていた。ずっと酔えない人間だ。

 

※参考記事

orehero.hateblo.jp

 

酔える人間と酔えない人間のどちらが幸せかという話をする気はないし、しても詮無いことだろう。

ただ言えるのは、これからの時代はとにかく時間との勝負だと言うことだ。時間を費やすことに敏感な人間こそが勝ち抜いていくものだ。

最近やたらと生産性が叫ばれるようになっている。こういった書籍がバカみたいに売れている。

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生産性の世界に身を置くと、焦りが生じる。自分が努力をしないとそれだけで相対的に退化したことになってしまうからだ。

この傾向はこれからも加速していくはずだ。世の中にある商品やサービスはとにかく消費者の“時間”を確保することに特化していっている。そしてそこに気付ける人と気付けない人の差は大きいだろう。

これからは「行列のできる美味しい店」よりも、「行列ができないのに美味しい店」の方がはるかに価値が高いことにみんな気付き始めると思う。

 

行列に並ばないと食べられないものなんて、その程度の価値しかないのだ。

 

以上。