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『人は見た目が9割』の人間になりたくない

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人は見た目が9割

どうも。

『人は見た目が9割』という本を知っているだろうか。ちなみに私は知らない。当然、知っているあなたが偉いと言うつもりもさらさらない。好きなだけ読んで頂きたい。

その本の中身は知らないものの、内容は大体理解しているつもりだ。何と言っても、私たち日本人は子供の頃から、「身だしなみ!」と口うるさく教育されており、「見た目こそが至高」だと刷り込まれているからだ。

実際、私だって綺麗な身なりの人が好きだし、だらしない人は自分によっぽどのメリットをもたらさない限り不快な人物というカテゴリーになる。

ただ、自分自身のことだがこの傾向はあまり好ましくないと考えている。

なぜなら人は見た目が9割ではないからだ。

 

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見た目は上辺

例えば、超絶的な美人が職場にいたとしよう。

彼女がいるだけで周囲は華やぎ、私は仕事に行くのを楽しみにしている。それくらいの美人である。

ただ彼女には致命的な欠点がある。内面がまったくもって問題外なのだ。

それは仕事をまったくしない。さらに法を遵守する精神が欠けている。人格が崩壊している。

ちょっとでも職場で気に入らないことがあると、ナイフを振り回し手当たり次第に人を切りつける。老若男女お構いなしだ。そうやって差別しないところは彼女のいいところかもしれない。

それでも彼女は美人なので、みんなから大事にされ、特別に思われているのだ。

例え話が下手すぎて伝えたい事がまったく伝わっていない気がするが、まあ気にしないようにしよう。

見た目に頼りすぎるのは、相手の上辺しか見ていないということが言いたかったのだ。

経歴・立場も9割 

この傾向は見た目だけに限った話ではない。

私たちはとにかく権威に弱い。

有名人、知識人、専門家、実業家、どっかの大企業の社長、有名マンガ家、アーティスト…彼らの言葉となると途端に「神の言葉」にしてしまう。

私はこの風潮がすこぶる嫌いである。ディオゲネスのwikiをもっとみんな読んで欲しい。まあ世の中があんなのばかりになったらたまったものじゃないがな。

 

大企業の社長は成功者である。だからこそ彼らの言葉は含蓄深い、と決めつけてかかる。

しかしこれが和民の社長になると途端に違う意味で含蓄深くなる。これが嫌なのだ。

ちなみに私は和民の社員ではないので、余計な勘ぐりをしないように。

意見は誰の口から出ても関係ない 

強調しておくが、私もこのバイアスから逃げられているわけではない。偉い人の言葉は聞こうとしてしまうし、美人にも弱いしなんならイケメンにも弱い。

しかしそれではいけないのだ。

本当は言葉そのものの価値を判断できる脳みそが我々には必要で、人格や経歴などは関係ないのだ。そうでなければ、発言できる人とできない人が存在してしまう。当然私は発言できない(影響がない)側である。

正しい意見というのは誰の口から出るとは決まっていない

私たちが無意識に蔑んでいる人からかもしれないし、あなたが大嫌いな人からかもしれないし、もちろんあなたの口から出るかもしれない。

それを受け入れられる人間、それを認められる人間になりたい。

 

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選別と思考停止

世の中はあまりにも『人は見た目が9割』に基準を設け過ぎである。その状態は思考停止に近いとさえ思う。

別に思考を停止するのはその人の勝手だが、自分が思考停止していることを自覚していないのは、なかなかに迷惑だったりする。

確かにすべての意見や人間を平等に参考にするのは難しいことだし、時間のムダになることは多い。

例えば、バカ(見当違い)な人のそばにいるよりは頭のいい(見当がついている)人のそばにいる方が色々と効率的である。

「この人はすごい人だから信用しよう」「この人はバカだから無視しよう」

そうやって少しずつ周りの情報を限定していくことで、ムダな選択肢を減らす行為は賢いことかもしれない。ただその一方で、本当に価値のある意見を判断するための脳みそが退化する危険性がある

自分にとって心地の良いもの、好きなもの、理解できるもの、そういった自分の側面からしか物事が見られなくなってしまう。

つまり偏るわけだ。

バランス感覚こそが

問題を解決してくれるような自由な発想というのは、本質を見据え、偏らない所から生まれることが多い。そうでない場合は大抵、誰かの飾り立てたポジショントークである。

「偏る」という字は「片寄る」とも書く。

片側に寄っていると、いつかバランスを崩して倒れるのではないだろうか?

 

バランス感覚というのが、生きていく上で一番大事だと思う。

 

以上。

 

この記事はこちらの本を参考にしました。

 

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