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気配りできない人と気配りされないで怒る人が揃うと最高です

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どうも。

愚痴です。

 

怒るおばちゃん

私の職場にはおばちゃんがたくさんいるのだが、それはもうよく怒る。何かにつけて怒る。むしろ怒ってなかったらそれはおばちゃんではないと言っても過言ではない。過言だが。

先日、仕事の最中におばちゃんが怒り出してしまい仕事を放棄するという事態が発生した。

あまり具体的な話をするとつまらなくなるので、簡単にまとめると「具合が悪いのに、社員の子が気配りをしてくれなかった」というものだった。

その日、私は休みで対応することができず、翌日出勤したときに報告を受けた。部下の子曰く、「勝手にいなくなってしまった」。

おばちゃんは怒ると怖い。男性のほとんどは怒ったおばちゃんの相手を苦手としている。私もいくらか慣れているとはいえ、怒り狂った人の相手をするのは骨が折れる作業である。己の心を生かさず殺さずの精神で対応しなければならない。

さて、その後そのおばちゃんと私で30分ほど個室でみっちり話し合ったことで一応解決はしたのだが、私の中にはモヤモヤが残った。

 

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気配りってされないと怒るもの?

私が感じた違和感というのは、「気配りってされないと怒るものか?」である。

自分の人生を振り返ったときに、気配りされずに不快になった瞬間というものを検索してみたが、私が忘れっぽいせいかまったく出てこなかった。私だけだろうか?

そもそもの話なのだが、気配りとは何か。

あれこれ気を使うこと。手抜かりがないように注意すること。心づかい。配慮。

※goo辞書より転載

そういうことらしい。

おばちゃんは「気配りしてくれなかった」という理由で怒っていたわけだが、つまりこれは「気を使ってくれなかった」「手抜かりがないように注意してくれなかった」「心遣いをしてくれなかった」「配慮がなかった」と言っているわけだ。

 

ふむ。こういった態度を何というかご存知だろうか。

私の数少ない語彙の中から最適なものを選ぶとしたらやはりこれだ。

 

 

「傲慢」

 

最高である。

 

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気配りは嬉しい

少し考えなおしてみようじゃないか。

気配りをされたときの気持ちを考えてみよう。

 

自分がものを落としたときにそばにいた人が拾ってくれる。⇒嬉しい

ベビーカーを抱えて階段を登っているときに道を譲ってくれる。⇒嬉しい

飲み会とかでグラスが空になったときに「何か飲みますか?」と訊いてくれる。⇒嬉しい

左利きの私のために奥さんが右側に座ってくれる⇒嬉しいor気付かない

 

なんだかこうやって例を書き出しているだけで幸せな気持ちになるのだが、気配りというのはされると、当然の事ながら嬉しい気持ちになる。

しかしこの嬉しさというのは、自分が予想していた以上の行為をされるからこそ嬉しいのであって、別にやってほしかったから嬉しいわけではないということだ。まあギリギリあったとしても「やる必要はないだけど、もしやってくれたら嬉しい」ぐらいじゃないだろうか。

考え方と体臭

当然のことを書きすぎて頭が頭痛で痛くなってきそうだが、続けるとする。

職場のおばちゃんの最大の間違いは、「気配りされて当然」「私のことを気にして当然」と考えてしまっていることに他ならない。

こういった「偏った考え方」の怖い所は、それで周囲とトラブルを起こしたりすることよりも、そもそも自分で「偏っている」と気付けない所にある。

個人の考え方というのは体臭のようなもので、それがどれだけ悪臭だとしても本人にその自覚はないのだ。しかも見えないし。

 

もしおばちゃんが求めていたように「気配りされて当然」という状況がありえるのならば、「あなたに気配りをします」という契約を結んでもらうしかない。

あくまでも気配りというのは、100%以上のものであって、必須ではない。ましてやそれを受け取る側が「気配りしてくれよ!私をもっと見てよ!」と泣き叫ぶのはお門違いである。そういうのはリッツ・カールトンでやっていただきたい。

 

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ただし 

しかしながら世の中の難しいところなのだが、実はこの「気配り」というやつができない人はかなり苦しむことになってしまったりする。

というか気配りができない人は成功できないと言える。 

気配りせずとも、他人が困っていることに気づかなくても、他人が欲しているものを考えなくても生きていくことはできる。常に決められる中で仕事をし、常に受け取る側になっていればいいだけだ。

その人がどういう人生にしたいかというだけの話である。

気配りされないからと怒るような傲慢な人に、私は気配りをしたいとは思わないし、気配りができない人も残念だと言わずにはいられなかったりする。

 

以上。

 

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