俺だってヒーローになりてえよ

圧倒的な読書量と端から忘却していく貧相な記憶力、ふざけた文章を駆使するポンコツブロガー。 同情されているのか、やたらとオススメ本や漫画が売れている。月商30万円ぐらい。 どうぞよろしく。

ヒーローパラドックス



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常日頃から私はぼんやりと「ヒーローになりたい…」と考えながら生きている。これは言葉ではなく、もっと自分の心の奥底にある概念のようなものとであり、具体的な像があるわけでもなく、イメージが浮かんでいるわけでもない。いつかするウンコのようなものだ。自分で書いててよく分からないけど。

 

   

 

さて、私はこの広大なネットの海の片隅でこのように文章を書き散らかしているわけで、これを機に私のヒーロー願望について考察を深めたいと思う。きっとこれは誰もが抱える欲求だと私は勝手に決め付けているので、この記事はかなり有益なものになると信じている。そして信じることは誰にも許された権利であり、勝手にやっていいのだ。結果は関係ないのである。

 

ヒーローとは

「ヒーロー」

全ての人間の心に存在する無敵であり、ちょっとアホっぽい存在。やつは一体何者なのだろうか?

アンパンマンに代表されるようにヒーローは困っている人の元にやってくる習性がある。また悪役もヒーローが出没しやすいところで悪さをする習性がある。つまり両者は同じ場所を住処とし、共存しているわけだ。ヒーローと悪役は別々では存在し得ない。

また困っている人がいなければヒーローの出番は無くなる。つまり悪役が活躍しないと仕事が発生しないわけだ。言うならば悪役が発注元でヒーローは下請けということか。消費者は困っている人ということになる。アンパンマンで言えば、カバおくんが消費者になる。ちなみに彼の声をやっているのは山寺宏一だ。チーズも同じである。さらに言うと釜めしどんも山ちゃんだ。

話がそれたが、悪役が更正してしまったらヒーローはどうすればいいのだろうか?バイトするしかないかもしれない。だって仕事がないんだから。しかも悪役は今までのイメージがあるから、「昔は悪かったのにあんなに真面目になっちゃって」理論が働き、周囲の目はかなり温かいものになると想像できる。

逆にヒーローは今までの輝きが失われ「あいつ落ちぶれたな…」と後ろ指差されることは間違いないだろう。たまに「あの人は今?」に出演して脚光を浴びるぐらいだろう。非常に悲しいものである。

つまり何がいいたいのかと言うとよく分からなくなってしまっているのだが、ヒーローというやつは職業的な要素が強いということだ。

人の不幸を望んでいるのか?

ヒーローは困っている人がいないと成り立たない。世界を平和にすることを目的としながら、平和になってしまうと存在し得ない。ここにヒーローの悲しさを感じるのだ。

だからといってこの世界には困り果てている人が溢れ果てていて、ヒーローの仕事が無くなることはしばらくないだろう。

 

私たちの中にあるヒーロー願望は誰かが不幸になっていることでしか満たされないことになる。そうなると私たちは人の不幸を望んでいることになるのだろうか?

救って感謝されたい。自分の価値を認めてもらいたい。

そんなクソくだらない承認欲求に飢えている私たちは人の不幸の上でしか満たされないのだろうか?

「救いたいから不幸であってくれ」

これがヒーローパラドックスである。

 

 

 

ただ不幸が無くなって欲しいだけ

あまりにも駄文が過ぎた。

この情報化社会では、目にするものや耳に入るもののほとんどが悲劇や不幸の類だ。

日常的に入ってくる他人の不幸は私たちの胸を痛めてくる。これが平気な人間はいないだろう。どこかでストレスにはなっているのだ。

人間はストレスから開放されたいときに動き出す傾向がある。

つまり私たちのヒーロー願望は、誰かの不幸を望んでいるわけではなく、自分のストレスを解消したいという欲求の表れなのだ。

ヒーローの姿はエゴの形をしている

こんな話を読んだことがある。

 

とある発展途上国で、記者があるひとりのストリートチルドレンと出会った。彼は日銭を稼ぎながらもそれらを全てシンナーにしてしまう生活を送っていた。

まともな食事をしていないので日に日に衰弱していくが、周囲の人達も彼を助けるためにお金をあげた所で、シンナーに消えてしまうことは分かりきっている。その為、誰からも施しを受けることができなくなってしまった。

見かねた日本人記者は、少年を説得し、「これでパンを買いなさい」と少しのお金を渡した。シンナーを買ってしまわないように、少年と一緒にパンを買いに行くところまで付いて行った。

後日、記者が少年の元に行くと、地面に横たわりながらシンナーを吸っていた。買ったパンは結局食べず、シンナーに変えてしまったのだと言う。

「このままだと死んでしまう。一緒に病院に行こう」

記者がそう説得すると少年はこう語った。

「命を永らえた所で誰も自分には関わってくれない。みんなが無視してくる。そんな辛い人生を送るぐらいだったらシンナーを吸って、気持よくなりながら早く死にたい」

 

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絶望的になるぐらい私たちは他人の気持ちが分からない。それは熟年離婚が証明している通りだ。長年寄り添ったからといって相手のことが分かるわけでもないのだ。

そうなると自分の小さな脳味噌の中にある想像の範囲内で行動するしかない。

これはエゴと呼ばれる。

私たちのヒーローは素顔を見せることがあまりないが、その下にはあまりにも人間的な何かが潜んでいるようだ。

エゴ以外にできることはない

否定的な文章になってしまったが、私の考えをまとめておく。

 

1.私たちはヒーローになりたい

2.ヒーローはストレスから逃れたい欲求である

3.ヒーローはエゴでしかない

4.でもエゴ以外にできることあるか?

 

誰かを助けたいのが自分のストレス発散だろうが、エゴだろうが、事実はどうあれ私たちができるのは、できることはやるだけで。

上に書いたようなことをグダグダ考えているやつは大抵行動できないくせに人には文句をいうタイプだ。クソである。そう私のことだ。

 

ということで、ぜひとも賢明な皆さんは私のようにウダウダ考えずに素直に気の赴くままに人助けをしてもらいたいものである。またくれぐれもお節介にならないように、誰かのSOSにだけ反応していただきたい。

私のように、ヒーローになりたいくせに「ヒーローとは何か?」と勝手に正しいヒーロー像を追い求め、勝手に自分を縛り付けるような輩にはならないでもらいたいと願うばかりだ。


Mr.Children「HERO」Music Video

 

以上。