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徳永英明のレイニーブルーは永遠に聴いていられる名曲

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どうも。

 

これから繰り広げられるのは、私のただの独り言である。ブログというのは日記のようなものなので、そもそも独り言のようなものだ。だがそれでも昨今のブロガー達はできるだけ読者に価値を提供するような記事を書いている。

 

しかし、この記事は誰にも何の価値も生み出さないことをここに約束する。それはもう私にでさえもだ。ここまで来ると自慰のレベルにさえ達していないかもしれないが、それでもこの記事を書き上げたいと思う。

まずは聴いてもらおう

 


素晴らしいの一言である。ここまで素晴らしいと永遠に聴いていられる気がする。いや、それは嘘だ。いくらなんでも永遠に聴いていたらすぐに嫌いになると思う。分かったか、好きな曲は着メロとかアラーム音に設定するんじゃないぞ。

まあ永遠は嘘だとしても、折をみていくらでも楽しませてくれる楽曲であることは間違いないのである。
では詳しく魅力を語っていこう。

唯一無二の歌声


まずは徳永の最大の武器である唯一無二の歌声についてだ。

いや、分かっている。誰の声だって唯一無二だ。ひとつだけのオンリーワンだ。中居君だってそうだ。だが聞いてほしい。ここまで形容する言葉が見つからない声があるだろうか。
例えば中居くんならゴミのようなとか、キムタクなら粘っこくくどいとか。いくらでも形容のしようがある。あくまでも例えばの話であって私が彼らの歌声に対してそう思っているわけではないので、あしからず。

それに対して、徳永英明である。

何だこのザラザラ感は。何だこのつまり感は。何だこの心地よさは。

私はこの男の声を評価する方法を知らない。単純に「心地よい」としか言いようがない。ふざけるな。なぜこんな声が出るというのだろうか。以前私が唱えた「歯並びが悪いと歌が上手くなる」理論が存在する。徳永英明も八重歯が特徴的だが、これがこの声の秘密なのかもしれない。だが、世の中には腐るほど八重歯がこんにちはしてる人間がいるが、こんな歌声の人間には出会ったことがない。

声が特徴的と言えば私はすぐにこの男が頭に浮かんでくる。

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綺麗なわけでもないのに、非常に人の心を惹きつける声を持った桜井和寿。彼の場合は若いころにあえて声を潰したという逸話がある。強い酒を飲み、大声を出すことで声帯にいい感じに傷が付いたのだろう。しかしこれは決してオススメできるやり方ではないので、ご注意を。

しかし徳永英明は完全にナチュラルにあの声のようだ。

人はこれを才能と言う。悔しい。羨ましい。嫉妬。一日だけでいいからその喉を貸してはくれないだろうか。そんなアホなことを考えてしまうぐらい魅力的な声なのだ。マジで羨ましい。

更に言うと、ビブラートも素晴らしい。上手い人のビブラートは揺れるのではなく鳴らすようなビブラートになる。ビブラートがおまけにならずに、それそのものが表現のひとつとして主張するのだ。人によってはそれを勘違いしてビブラートを鳴らしまくるようなセンスのないことをするが、徳永英明は違う。超絶妙。超ちょうどいい。表現とはバランス感覚でもあるのだ

ちなみに私が嫌いなビブラートはGACKTとか浜崎あゆみだ。アーティストとして嫌いという意味ではないのであしからず。あしからずを多用しすぎているのもあしからず。

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曲について


曲の構成は非常にポピュラーなものだ。まあその辺は時代だったということもある。この時代が作り上げたものが王道となってくれたからこそ、今の変則的な音楽たちが生きてくるのだ。世のKANA-BOONやゲスの極み乙女のファンは刮目せよ。

まず前奏。雨粒のような音色の前奏はとってもレイニーである。編曲者は徳永英明ではないと思うが、このセンスの良さには脱帽である。
ワンコーラスが終わると静かにドラムとベースが入り込んでくる。非常に上品な演奏である。特にドラムのしっとりとしたハットの音は格別である。…勢いで書きまくっているが少し心配になってきた。こんな記事を一体誰が読むのだろうか?

まあいい。これは完全に私の独りよがりなので気にしないことにする。きっとごくごく少数の変人だけが付き合ってくれることだろう。

サビ前のジャジャジャン&サビでドカーンは正にJポップといった直球中のド直球。これがサビでなくて、何がサビだろうか。Aメロ、Bメロ、そしてジャジャジャンからのサビ。これこそがJポップだ。歌謡曲だ。日本の心である。いつだってストレートボールには曇りがないのだ。俺、全然野球詳しくないけど。

ちなみにこの動画でドラムを叩いている方は超有名なドラマーで、アーティスト界隈では大人気の名手である。BANKBANDにも参加されている。


次は二番である。

同じメロディーなので、盛り上がりを感じさせるために今度は最初からドラムとベースが参加している。耳を飽きさせない工夫がこんなささいな所にもしてあるのだ。さらっと聴くんじゃないぞ。

サビは相変わらずのドーンだ。バンドメンバーが全員参加で音量もアップだ。分かりやすいぞ。
今、ふと思ったのだが、このステージに乗っている人間は全員おっさんだ。だから何だと言われても困るが、素敵な音楽の前では加齢臭も関係ないのだなと思った次第だ。

話を曲に戻そう。

二番のサビが終わるとさらにもう一回サビを繰り出してくる。この極上メロディーを聴かせたい、また観客がもっと欲しがっていることを十分に分かっている配置だ。いい仕事をしている。

そこから間奏、Cメロを挟み最後の大サビへと向かう。

大サビの盛り上がり方と転調による昇天度合いは完璧の一言である。まさに畳み掛けだ。
転調により高音がきつくなった徳永が裏声に逃げる感じも最高である。この動画でもあるが、メロディーの中の単音だけ裏声にするのは非常に高度な歌唱力が必要になる。喉が器用でないとできないのであるが、徳永は正直あまりできていない。音が抜けてしまっているように聞こえるのだが、むしろそれがいいと私は思う。必死さが伝わってくるからだ。

少し曲の内容とは話がずれてしまうが、音楽というのは音を使った芸術活動である。芸術は何のためにあるかというと、人の心に何かを訴えかけるためにある。それは感動かもしれないし、ゲルニカに代表されるように怒りかもしれない。悲しみかもしれない。
人の心を揺さぶる何かが芸術である音楽には必要なのだ。何も揺り動かすことができない音楽だったら存在する価値はない

そういった意味で徳永英明のあの出きっていない裏声は非常に効果的だ。動かされるものがある。そしてそれがライブ演奏の良さでもある。

徳永英明は実はそこまで歌が達者ではないのだ。だが上手い下手は表現の世界ではあまり関係ないのだ。むしろ上手いと何も感動しないことすらあるのだから不思議なもんだ。

さて大サビで必死に歌い上げる徳永と後ろでバンドが鳴らしまくりのレイニーブルーだが、こうなるとレイニーというよりも、どしゃぶりの大雨、もはや台風レベルの盛り上がりである。冒頭で電話ボックスの中にいる様子が描写されているが、さぞかし出づらいことであろう。どうでもいいか。

みんなやりたくなっちゃう


さて、こんな名曲を聴くと観客たちはどうなるだろうか。答えは非常に単純である。
そう自分もやりたくなっちゃうのだ。これは我々素人も、プロのアーティスト達もそう変わらないらしい。

観よ、このYOUTUBE乞食たちのような状況を。みんなが同じことをしている。


清水翔太ーレイニーブルー

 

まずは清水翔太である。黄金の声の持ち主である彼。名曲と相まって素晴らしいクオリティを披露してくれている。ただし、ちょっとばかし綺麗すぎるきらいがある。



レイニーブルー - ATSUSHI (lyrics)

 

次はボーカルモンスターATSUSHIである。ウマすぎである。ふざけんな。カラオケでもこのクオリティだ。才能とは残酷なものだ。ちなみにどうでもいいだろが、彼の妹と私は同じ吹奏楽部で一緒に汗を流した仲だ。あの頃はここまでの大物になるとは想像もしなかった。ただのいかつい兄ちゃんだったのだが…。

 


レイニーブルー/つるの剛士 つるのいろ

 

つるのである。編曲が非常に嫌いだが、彼の歌い方は嫌いではない。表現に素直さが感じられる。実は一番徳永に近い発音の仕方をしていると思う。
徳永の特徴として日本語の発音をちゃんとする、歌詞を大事にする傾向がある。これはカバーアルバムでも同じで、カバーさせてもらうアーティストに対しての真摯なリスペクトを感じる。徳永の話ね。つるのは知らん。

 

 


島谷ひとみ / 「レイニーブルー」【Studio Live Movie】


今の若い子は誰だか知らないかもしれない。私も別に教える気はないが、歌ってみた系の素人ではないことだけは伝えておこう。

 


【クリス・ハート】 レイニーブルー(カバー)

 

みんなが大好きなクリス・ハートである。冒頭のウイスキーはギャグなので盛大に笑ってあげてほしい。

 


中居正広がマジ歌唱!? 徳永英明のレイニーブルーを歌う


最後はこれだ。感じてほしい。何かを。


こんな感じだ。凄まじいカバーのされようである。

一時期、徳永がカバーアルバムばかり出して批判されていたが、これだけ徳永自身がカバーされているんだから、あれぐらい許してやってほしいと思う。 
 

いかがだろうか


さて好き放題書き連ねてきたわけだが、気がついたら4000文字級の駄文になってしまった。申し訳ない。
ただこれは私のブログであり、私の記事なので誰にどう思われようが関係がないと言えばそれまでなのだが、それでも湧き上がる申し訳なさは否定出来ないのである。すみません。

まあこんな記事だが、私の『レイニーブルー』への愛と音楽への偏執さが少しは伝わったと思う。
以上だ。