俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

【随時更新】小説中毒が厳選した最高に面白い小説1~100冊目
これまでの人生で買って良かったものまとめ
読書中毒者が選ぶ最高に面白いノンフィクション&エッセイ
Twitterの叡智集合。#名刺代わりの小説10選を1300人分まとめてみた

私が奥さんを名前で呼ぶ理由

15-quotes150825-002

 

どうも、ひろたつです。
仲良し夫婦のちょっとした秘訣…かも。

◯ちょっとしたこだわり


私は奥さんを呼ぶときに名前で呼ぶようにしています。付き合っている時は当然かもしれませんが、結婚して子供ができても変わらない、というのは少数派だと思います。
長く付き合っていると、なぜだか相手の名前を呼ぶのが恥ずかしくなってしまい「おい」とか「ねえ」とか、ヒドいのになると「お前」と呼ぶようになります。

これは私の父がそういう感じでして、それにプラスして両親の仲が悪かったこともあり(今は良好ですが)、「ああはなりたくない」という気持ちが常にありました。完全に反面教師にしていましたね。

そして私は「結婚生活を苦しいモノにしたくない」、という強い気持ちがありました。
 
私が結婚したのは26歳の時。普通に生きれば彼女とあと50年以上一緒に生活することになります。その長い時間を私は出来ることならラブラブなままで過ごしたいと思っていました。

そのために奥さんをいつまでも名前で呼ぶのは私の中で当然の選択でしたし、奥さんにも「おじいさんになっても名前で呼ぶから」と約束をしたぐらいです。 

◯子供が混乱する


世間的に考えると子供の前では「ママ」や「お母さん」と呼ぶことが正しいとされています。
なぜなら幼い子供からすると、「ママ」という存在が違う名前で呼ばれることで混乱してしまうからです。

しかし私はそれも理解した上であえて名前で呼び続けています。
「ママに聞いてごらん」的な使い方はしますけどね。直接呼ぶときは必ず名前です。

確かに最初は混乱するでしょうが、いつまでも混乱しているほど子供もバカではないので次第に慣れます。それに子供にとっては「ママ」でも、おじいちゃんからしたら「娘」だし、パパからしたら「奥さん」なんだ、という目線は絶対に必要ですから。そうした混乱も、「相手の立場になる」という新しい目線を獲得するうえで必要な経験ではないかなと思います。

スポンサーリンク
 



◯役割は名前ではない


私は距離感を気にする人間です。

あまり親しくない人が急にフレンドリーにしてくると、「うわっ、ヤダ!」となります。他人に敬語が使えない人も好きではありません。

それは呼び方でもそうで、相手を役割で呼ぶという行為は「あなたとは役割でつながっていますよ」というメッセージを含んでいるように感じます。「課長」とか、「リーダー」とか、「店員さん」とか。なんか距離を感じさせますよね。

それと同じことで「ママ」や「お母さん」というのは役割のことなので、愛する奥さんを呼ぶためにその単語は適正ではありません。奥さんという存在に対して声をかけたいので、名前で呼ぶわけです。
逆に「ママ」と呼ぶのは、私が「サラリーマン」と呼ばれるのと同義です。「男」とか「メガネ」でもいいですね。良くないけど。

あとはあれですね、子供のこと「子供」とか「長男」とか呼びませんよね。それって距離感がイヤだからでしょ?

◯ニックネームも違う


たまに奥さんを愛称で呼ぶこともありますが、これは茶化しやふざけの要素を含んでいて、本当に奥さんに呼びかけたいときは適していません。真剣味が足りないように感じます。

名前を呼ぶという行為は、大げさかもしれませんが「私はあなたの存在と名前を認めていますよ」という証なんです。誠実さがないとできないと思います。だって、なにか誤魔化したいときは奥さんのこと愛称で呼びたくなりますし、実際に呼んでいると思います。何を誤魔化したかったのかは置いておくとして…。

◯約束って大事よね


自分で言うのもなんですが、結婚したときの「ずっと名前で呼ぶ」という約束を守り続けているっていうのはステキだと思うんですよね。

ケンカばかりの私たち夫婦ですが、お互いに「約束を守り続けている」という感覚がふたりの絆に決定的なヒビが入らない秘訣なように感じます。たぶんね。

別に約束を守っているから偉いとかそういう話ではなくて、約束をすることによって繋がるものもあるんだよっていう話です。

あれ?こんなこと書きたかったんだっけか?まあいいや。みんな仲良くしてね(適当)。


ほんじゃ。