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ダライ・ラマの言葉に考えさせられる。私達は何に執着しているのだろうか?

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今回はTABI LABOからの記事になります。 非常に考えさせられる内容だったので紹介します。



「戦争に慣れてしまってはいけない。」ダライ・ラマの戦争と平和に関するコメントが深い・・・

以下、記事より抜粋。


チベットのダライ・ラマ14世は、最近「単に祈るだけではパリの事件のような、世界中で勃発する残虐行為を何ひとつ解決することはできない」とのメッセージを残しました。人間が生み出した問題の解決を神に求めるのは無意味。強く人々の心に響く言葉でした。これらの問題を生み出したのは私たちです。ならば、その解決もやはり私たち自身に委ねられている。そう、神ではありません。
彼の強い主張は瞬く間に広まり、世界の人々が向かうべき方向性を、大きく変える必要があることを気づかせてくれました。

パリ同時テロ攻撃のような今の時代の新しい戦争のかたち。そして、人間の洗脳について、ダライ・ラマは自らのウェブサイトで以下のようにメッセージを残しています。
Collective-Evolutionでは、今後も定期的にこの問題について取り上げています。いま、ダライ・ラマはどのように感じているのでしょうか?

ここから下がダライ・ラマのメッセージです。


「戦争、そして各国の巨大な軍事施設は、すべて世界で起こる暴力の源です。その目的が、守備や攻撃であるかに関わらず、これらの膨大で強力な組織は、人間を殺すためだけに存在しているようなもの。私たちは戦争の現実について慎重に考える必要があります」

「いま、多くの人が軍による戦闘に、なかば興奮状態を示し、傾倒しています。自分の能力と勇気を証明する機会として考えているのです」

「軍隊そのものを合法としているため、私たちは“戦争”を受け入れるほかありません。戦争は犯罪であると感じてはいないでしょう。ですが、それを受け入れること自体、犯罪行為に等しいのです。実際には、私たちは洗脳されています。戦争は華やかでも魅力的でもありません。ただ悲劇と苦しみがあるだけなのです」 


また記事の最後には戦争にかかるお金の話が載っています。


ダライ・ラマはその後、戦争がどんなにお金がかかるものなのかについて話しています。多くの人が同じ思いを抱いているはずです。アメリカの軍事予算を投入すれば、地球上の貧困と飢餓は完全になくなくすことができると。戦争にかかる膨大な資金はどこから生じるのか?それは統制された一部のエリートたちによって、無限にプリントアウトしているのだということも。

元カナダ国防相Paul Hellyer氏は「膨大なお金が、何も知らない議会と最高司令官によって、プロジェクトに費やされてきた」と暴露したことがあります。アイゼンハワー大統領が警告したように、軍産複合体は見当違いの力を存続させ強めるためのものです。もし、彼がこの時代に生きていたなら、この現状についてどう思うでしょう?

私たちがお金を道具として使用するなら、どうしてその多くを、地球上の皆のために食糧や避難所、衣類などを提供するために割り当てられないのでしょうか?防衛支出を使えば、こうした問題を解決できる国があるはずです。

 

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戦争を無くす方法

学が無い人間なので難しいことは語れません。ただ分かることがひとつ。戦争を無くしたいのであれば、今すぐ私たちが争うことを止めることです

これは戦争に限った話ではありません。普段からの争いすべてを止めるということです。

私たちの生活は争いで出来ています。
勉強、進学、就職、収入、企業。世の中のほとんどが争いがベースになっています。ということは私たちは本質的に争うことを望んでいるとも言えます。そうすることで自分がより豊かになる、自由になる、有利になると理解しているから争いを止められないのです。

宗教による争い

宗教というのは非常に扱いの難しい問題です。ただ単に「神を信じること」というだけなのに、こんなにも人のアイデンティティに根ざし、人との軋轢を生み出す問題はありません。

今回のテロを行なったイスラム国の目的は「全人類をイスラム教徒にすること」だそうです。もしくは「別宗教は存在してもいいが、イスラムにひれ伏す存在」にしたいそうです。そしてその為には手段を選ばないのはみなさんのよく知る所です。

危険な思想のように感じるかもしれませんが、信仰を持っている人には分からなくもない感覚ではないでしょうか?

「自分のやっていることは本当に正しいことだ。みんなが同じようになればいいのに」

教義いこそ違えど、まさにイスラム国と同じ考えです。

仏教で学ぶこと

またしても難しい話はできないのですが、仏教で学んだことを話したいと思います。

私は基本的に無宗教の人間なのですが、奥さんの実家が熱烈な仏教徒ということもあり、少々仏教の心得があります。また宗教に傾倒する人間の心理にもいくらか精通しています。

釈迦の言葉で有名なものがあります。
「諸行無常」

これは"全ての事柄はうつろいゆく”という意味だそうです。

私達の身の回りにあるものから、愛する人までこの世にあるすべてのものが変わっていく、ということです。
「何を当たり前のことを」と思うかもしれませんが、意外とこの考えが身についている人というのは少ないです。

執着すること

「このアーティストが好き」
「大好きな人と一緒にいたい」
「子供はかけがえのない存在だ」

これらは人間にとって美しい感情のように扱われますし、これを生きがいにする人は多いです。しかしこれらはすべて執着から発する感情なのです。なぜなら、これらの言葉の裏には『ずっと幸せでありたい』という願望が潜んでいるからです。

では執着することの何がいけないのか?

仏教では「そこから人間の煩悩が生まれる」と教えられています。つまり余計な執着を持たなければ、憎しみや悲しみ、欲、争いが生まれないということなんですね。

この世のすべての争いは執着から生まれているんです。

釈迦は言ったそうです。

私の教えでさえ執着してはいけません

執着を捨てることが出来れば、必ず争いは無くなるのです。


神を信じることで救われることもあるでしょうが、ダライ・ラマが語るように私たちの心に根ざした問題は解決することはありません。

すべてを悟りきることは非常に難しいかもしれません。しかしやれることはたくさんあるはずです。

今回のテロを見て世界の恐ろしさを感じ、己の無力さを痛感した自分自身へのエールも込めて、記事に起こした次第です。