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俺だってヒーローになりてえよ

圧倒的な読書量と端から忘却していく貧相な記憶力、ふざけた文章を駆使するポンコツブロガー。 同情されているのか、やたらとオススメ本や漫画が売れている。月間250冊以上。 バカなことを書いて怒られること多し。

直木賞を受賞したから凄いわけではないから

小説


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どうも。

毎年毎年、直木賞やら芥川賞やらでブームになる作品が出てくる。たまに受賞なしなんてこともあるものの、基本的には毎年の恒例行事となっている。

普段、本に興味がない人や、本を読み始めたばかりの人などには、帯に書かれた「直木賞受賞作!」という謳い文句は魅力的に映ることだろう。新規開拓に一役買うとは素晴らしいことである。

ただひとつ言いたいことがある。

みんな勘違いしていると思うが、直木賞を受賞したからといって凄いわけではない

 

こいつ何言ってんだ?とそこのあなた。素晴らしい疑問である。直木賞と同じくらい素晴らしい。異論反論暴言なんでも受け入れようじゃないか。聞く耳は持たんが。

これは長らく読書を生きがいとし、日本の出版業界にお金を注ぎ続けてきた私だからこそ言えることなのである。そして動かしようのない事実なのだ。

その理由を以下に説明しようじゃないか。

受賞作が代表作ではない 

まず、直木賞受賞作を見てみよう。

代表的なものを挙げるならば、宮部みゆきの『理由』、東野圭吾の『容疑者Xの献身』だろうか。国民的人気作家の直木賞受賞作である。

どちらも私からすると凡作である。作品の質は確かだと思うが、それでも各作家の他の作品よりも優れているかと言うと疑問である。

例えば宮部みゆきで言えば、『理由』よりも『火車』の方が遥かに良作である。ミステリーとしての出来も優れている。

東野圭吾で言えば、『秘密』『白夜行』がある。どちらも彼の多数の著作の中でも屈指の傑作である。

このように直木賞を受賞した作品よりも遥かに質の高い作品が他にもあるのだ。

どれもこれも直木賞受賞作品だからと、極端に評価されすぎである。 

ノミネート作品との差なんてない 

次に言いたいのは、ノミネート作品との差は素人には分からないことだ。 

スポーツの記録と違い、文学というのは数字では表せない。売上は数字になるが、直木賞は売上を考慮しているわけではない。考慮してたら面白いけど。

そんなアナログなものを評価しようとしたら、ある程度の技術や完成度は問われるものの、最後は好みや勢いになるだろう

 

例えば第145回直木賞のノミネート作品を見てみよう。

このときの受賞作品はドラマ化もされた池井戸潤の『下町ロケット』である。普通のおっさんたちが燃える姿に萌える最高の作品である。しかしだ。

一方、ノミネート作品はというと、

島本理生アンダスタンド・メイビー

高野和明ジェノサイド

葉室麟恋しぐれ

辻村深月オーダーメイド殺人クラブ』 

錚々たるメンバーと作品たちである。

『ジェノサイド』なんかはこの年発売された小説の中でベスト級の破壊力を持った作品だったし、辻村深月の『オーダーメイド殺人クラブ』も良作であった。ただまあ、このタイトルの作品が直木賞を受賞するとは思わんが…。

あと私は未読だが、葉室麟の『恋しぐれ』はファンの間でも非常に評価が高い作品である。

これらノミネートで終わってしまった作品と、受賞作との間にそこまでの差があるだろうか。いやあるわけがない。あるとすれば、風向き程度のものである。どれも受賞に値するレベルの作品だと思うし、逆に言えば、直木賞受賞なんてのはその程度のものなのだ。みんな崇め過ぎである。

しかし、作家からすれば受賞すれば印税がバカみたいに入ってくるのでありがたいのは間違いないと思う。私が正したいのは、読者が崇めすぎだということだ。

受賞作家の価値はもともと高い 

最後の理由は、受賞作家はもともと価値が高い、ということである。

みんな受賞した瞬間に手のひらを返したように褒め称え、作品を手に取り、興味を示すが、その作家はもともと価値が高いのだ。受賞したら価値が上がったわけではない。ここを勘違いしてはならない。

現に、さきほどの例で上げた第145回組の中で、葉室麟は146回で受賞し、辻村深月は147回で受賞している。それだけの力を持った作家だったのだ。

高野和明に関して言えば、不運と言うしかない。『ジェノサイド』を越えるような作品はもう書けないだろうから、あとは今までのように「作家としての業績を評価してもらって」受賞することになるだろう。

島本理生も同様である。『ナラタージュ』が受賞に相応しい作品なのだろうが、機会を逃してしまった。

私には世の中全体が、直木賞を受賞したという理由で評価しているようにしか見えない

そしてそれを悲しいと私は思う。

 

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有名=価値が高い、ではない

みんな権威に弱い。自分で探すことを諦め、すぐに分かりやすい指標に飛びついてしまう。

しかし、スポットライトの当たっていない所にいくらでも面白い作品が転がっているし、宣伝を使えばどんな駄作でも一躍ベストセラーにできてしまう。むしろ「ベストセラー」と嘘を帯に書いておけば、現実にベストセラーになってしまうぐらいだ。それくらいみんな有名なものに弱い。

そもそも「直木賞!」と騒ぐくせに、直木三十五の作品を読んだことがある人がどれだけいるだろうか。少なくとも私は読んだことがない。はっはっは。

 

この世の中で宣伝の持つ力は強大で、商品を売るうえで一番必要なものになっている。それは品質よりも信頼よりも大事なものになってしまっている。ゲーム理論なんぞお構いなしである。それだけの効果が得られるのだから、そりゃあみんな宣伝する。国を代表する政治家はいまだに選挙のたびに大声を上げながら街中を走り回っている。宣伝が大事だからだ。彼らは我々一般市民を映す鏡である。

 

自分で素晴らしい作品を見つけるのは手間かもしれない。

だがいつも自分で面白い作品を見つけている私からすれば、評判をあてにするのも自分で探すのもそんなに変わらないよ、と思う。

たぶん、有名なものばかりに価値を見出してしまう人は、ハズレを引いたときに「有名なくせに大したことない」とか愚痴をこぼすんじゃないだろうか。どちらにしろ、選んだのはあなたである。有名かどうかはその商品の価値には何の関係もないことにそこで気付くことだろう。

 

以上。

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