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作家がエンタメに魂を売るとこうなる。貴志祐介『悪の教典』

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貴志祐介はエンタメに魂と頭髪を捧げている。

 

 

どうも。読書ブロガーのひろたつです。今回は悪魔みたいな作品の紹介。

 

内容

晨光学院町田高校の英語教師、蓮実聖司はルックスの良さと爽やかな弁舌で、生徒はもちろん、同僚やPTAをも虜にしていた。しかし彼は、邪魔者は躊躇いなく排除する共感性欠如の殺人鬼だった。学校という性善説に基づくシステムに、サイコパスが紛れこんだとき―。ピカレスクロマンの輝きを秘めた戦慄のサイコホラー傑作。 

 

『悪の教典』。

映画化もされ、マンガ化もされ、小説も売れまくっている。文句なしの人気作である。

この人気作、内容はと言えば一言で説明できる。

 

「変態教師が生徒を殺しまくる話」

 

これだけである。

たったこれだけの内容に、作者の貴志祐介は上下巻トータル約1000ページを費やしている。変態教師の殺人劇にだ。こんなアホなことをするなんて、むしろ変態なのは貴志祐介の方なんじゃないだろうか。

 

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貴志祐介の凄さ

それにしても貴志が凄いのは、上下巻ずっと同じ展開が続くにも関わらず、読者を楽しませ続けてしまうところだ。普通の作家であれば考えられない。

『バトル・ロワイアル』も殺し合いを永遠と繰り返すだけの作品だったけど、あれはあれで登場人物の生い立ちや心理描写を盛り込むことで、物語にドラマを生み出していた。それによって面白さを担保していた。ここまで単調な殺しの描き方はしなかった。

それに比べて『悪の教典』は経典でもなんでもなく、ただただ悪行を羅列しただけの作品である。生徒たちはあっさりと殺され続ける。いたいけな高校生たちが殺されていく様子を見せるだけ。

これをエンタメ小説として書いてしまうのだから、不謹慎の極みである。考えてみれば、よくもまあこんな作品を映画化しようと思ったもんだ。

でもこの単調さを支えるのが貴志の筆力である。

このブログではたびたび彼のリーダビリティの高さについて言及しているが、『悪の教典』でもその力は遺憾なく発揮されている。だてにハゲているわけじゃない。全然関係ないけど。

 

エンタメとは?

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先程から繰り返している“エンタメ”とは何か。

 

それは「感情を動かすこと」である。

 

楽しい、興奮、笑い、感動といった陽の感情から、悲しい、寂しい、怒り、気持ち悪いなどの負の感情までひっくるめて、何かしらを動かすことができれば、それはエンタメである。(例外は「つまらない」、かな…?)

 

このエンタメの肝を抑えまくっているのが貴志祐介なのだ。

彼は完全にエンタメという悪魔に魂を売っている。なんなら頭髪も売っている。それは頭を見れば一目瞭然だ。身体の一部と引き換えに才能を手にするなんて、まるで鋼の錬金術師である。読んだことないから、そんな話なのか知らんけど。

 

エンタメの最強コンボ

エンタメにおいて最強と呼ばれるコンボをご存知だろうか。

 

観客(小説であれば読者)を感情移入させる。

物語を展開させて、良い方向に行くと期待させる。または悪い方向に行ってしまうんじゃないかと不安にさせる。

期待を裏切る。(悪い方向に行くんじゃないかと思っている人も、内心では良い方向に行くことを願っている)

 

これである。この展開さえ用意しておけば、人間はほぼ確実に「感情を動かされる」。

 

『悪の教典』は面白くなるようにできている

さて、『悪の教典』である。

作者がエンタメに魂を売っただけあり、エンタメ要素盛りだくさん。というか、超一辺倒。期待→物語の展開→裏切られる、の流れの繰り返しである。

本当にこうやって書くとアホみたいな話なのだが、これが最高に面白い。エンタメのツボを突いているのだから、面白くならないはずがないのだ。面白くなるようにできているのが『悪の教典』なのだ。

そして、それに輪を掛けて貴志の高いリーダビリティが発揮されることで、エンタメが効率よくどんどん脳内に流れ込んでくる。しかもそれは「いたいけな高校生が殺されていく」という不謹慎なものなのだ。

 

「不謹慎なのに面白い…!」

 

読者は貴志の筆力によって、未だかつて味わったことがないほどの背徳感に酔いしれるだろう。

背徳感を得たエンタメは最強である。背徳感ほどエンタメの快感を増幅させる要素はないだろう。完全にドーピングである。

 

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ストレスさえも推進力に変えてしまう

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『悪の教典』は圧倒的なスピード感を持って物語が進んでいく。

文章自体はそこにあるだけなので、これは私たち読者が勝手にそう感じているだけである。ではこの“スピード感”がどこから来るのかというと、作中にある“ストレス”に他ならない。

 

あまりネタバレにならない程度に書くが、

『悪の教典』は大きくふたつの要素で読者にストレスを掛け続ける。

 

ひとつは主人公である蓮実聖司というシリアルキラーの存在

小説を読んでいる人の多くは、感受性に優れており、だからこそ物語世界や、表現方法を楽しむことができる。

でもそんな人間からすると、蓮実聖司という存在はあまりにも“別の生き物”である。何と言っても共感性欠如である。理解しようがない存在だ。

そんな人間の視点で物語がどんどん進んでいくのだから、我々読者は常にストレスに晒される。蓮実聖司という視点から見る世界は、あまりにも不愉快なのだ。

 

もうひとつは恐怖に追い詰められる生徒である

これは説明するまでもないが、蓮実聖司に追い詰められた生徒たちの恐怖感は並大抵のものではない。ホラー映画特有の「いつ襲ってくるか分からない」「けど殺されるのはほぼ確実」という状況は、とんでもないストレスが掛かるだろう。

そんな描写が永遠と続くのだから、そりゃあもう読者にも負担がかかりまくりである。

 

このふたつの大きなストレス元があることによって、読者は思う。

「早くこの状態から解放してくれ!」と。

 

そうなると、危険な状況から逃げ出す動物と同じで、少しでも早く“ストレスのない状況”、つまり物語の結末へと向かいたくなる。自然と読む速度も早くなる。物語の消費速度も上がる。

これが『悪の教典』の圧倒的なスピード感を生み出しているのだ。

 

読み終わった時は、まるで全力疾走した後のような脱力感があるだろう。

だが、こんな不謹慎丸出しの作品である。運動をした後特有の爽快さは、まったく無いことを付け加えておく。

 

悪魔に魂を売った作品 

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ワンアイデアで、しかも展開も予想通り。

でも内容は常に読者の気持ちを裏切り続け、背徳感という興奮を伴いながら夢中の時間を過ごさせてしまう。

しかも何も教訓がないというおまけ(?)付き。

 

これほどまでに“エンタメ”に徹した作品は他にないだろう。

 

稀代の作家が生み出した最高で、そして最低なエンタメをぜひ愉しんでもらいたい。

 

以上。