俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

偏屈人の雑談が面白い 土屋賢二×森博嗣『人間は考えるFになる』

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どうも。

最近、私の中で対談本がブームになっている。

まあそんなことは皆さんにとっては、どうでもいいことだとは分かっている。だがそもそも、この世の中にどうでもいいことじゃないことなんかあるのだろうか?そうやって色んなことを疑う視点を持ちたいものである。

そんなことは今回紹介する本には何の関係もなくて、私の大好きな2人の人物の対談本である。

ひとりはドラマ化もされたミステリー小説『すべてがFになる』になるで有名な作家森博嗣。そしてもうひとりがおちゃらけたエッセイを書かせたら誰も右に出るものがいない大学教授の土屋賢二である。

このふたりに共通するのが、どちらも大学で教鞭を執った経験があること。物書きであること。そして、なによりも変人であることである。

そんなふたりの対談が面白くならないはずがない。この組み合わせを企画した編集者は偉い。

内容紹介

人間は考えるFになる (講談社文庫)

森 博嗣,土屋 賢二 講談社 2007-03-15
売り上げランキング : 39309
by ヨメレバ

文系教授(哲学)・土屋賢二と理系助教授(建築学)・森博嗣。発想も思考も思想も性質もまったく異なる2人が、6回にわたって行ったトークセッション。小説の書き方から大学の不思議、趣味の定義、友人は必要なのかという根源的な問いまでを軽妙かつ神妙に語りつくす。読むと学びたくなる絶妙「文理」対談! 

対談というかただの雑談である。なのでこの本から何かを得ようと思ったら無駄足になる。大学教授が雁首揃えてくだらない話に興じている姿はある種超越したものを感じるかもしれないが、まあ雑談は雑談でしかなく、2人の著作のファンでもない限り楽しめるものではないだろう。

ということで、無駄なものが大好きで2人のファンである私は最高に楽しめたわけだ。

変人×変人は成り立たない 

森博嗣はその泰然自若とした生き方と考え方からして変人だと言える。土屋賢二も哲学を専攻する大学教授のクセに、アホみたいなエッセイを多数出版している変人である。

この本を読むまでは、「変人と変人が対談するんだから、すごい話をするんだろうなぁ」と勝手に思っていたが、それはとんだ思い違いだった。

対談なのでお互いの質疑応答という感じになる。そうするとどちらかがまともでないと話が成り立たなくなってしまう。キャラが強い方が答えて、まともな方が話を主導するようになる。 この2人の場合、土屋賢二が話を主導する側になっていた。つまり森博嗣の方がより変人だったわけだ。というか対談を見る限り、土屋賢二はかなりまともな方だという印象を受けた。土屋賢二森博嗣の語る内容に驚くレベルは、まさに私たち一般人のそれと同じである。

森博嗣の異常さ

対談の最中は土屋賢二がほとんどの時間圧倒されているように感じた。それくらい森博嗣は毅然とした変人ぶりを発揮していた。

森博嗣の作品を数多く読んでいる人であれば驚かされることばかりだった。

特に度肝抜かれたのが…

・作品はタイトルを決めてから書き始める。そうじゃないとまとめられない。

・トリックも考えない。タイトルとか話の流れから「こうすればいいだろう」というものを考える。

・話の進め方が分からなくなったら登場人物たちに適当に会話をさせている。その内に思いつく。

・人から嫌われることやどう思われるかということはまったく気にならない。

・自分の著作を面白いと思ったことは一度もない。

というところだろうか。変人である。

ミステリィでワクワクしない理由

森博嗣ファンの私だが、彼の著作を読んでいて感じるものの正体が分かったような気がした。

彼の作品の多くが推理小説に分類されるものなのだが、作品の肝になる「謎」と「トリック」に全然ワクワクしないのだ。むしろそれらはおまけ程度になっており、登場人物たちの口から発せられる言葉やアフォリズムが醍醐味になっていた。

推理小説を読む輩というのは変態が多く、文字と髪だけで騙されることに快感を得る。そのため、推理小説作品には魅力的な謎と度肝を抜くトリックを求めている。

しかし森ミステリィになるとそれが抜け落ちる。どうでもよくなるのだ。

つまり推理小説作品として彼の著作を楽しんでいないのだ。

その正体であるのが、そもそも書いている森博嗣自身がトリックを重要視していないことと、楽しんで書いていないことなのだろう。

森博嗣自身、推理小説にハマったのは小学生時代だったらしく、その当時でさえ読んでいれば途中でトリックはすべて分かっていたそうだ。アガサ・クリスティーの超名作『アクロイド殺し』でさえ、「これは自分の考えた通りのトリックだとしたら凄い作品だ!」と思いながら読んでいたそうだ。どんだけ脳みそが柔らかい少年だったんだ。

というわけで、私たちが「1+1は?」という問いに興奮しないように、森博嗣推理小説のトリックというものに全然興奮していないわけだ。悲しいものである。

ただし

対談自体は森博嗣の変人性を浮彫りするものに終止している。土屋賢二がエッセイの中で見せいているような笑いの要素はほとんどない。

しかしである。

この作品を手に取ったときは全く知らなかったのだが、なんと巻末に付録として土屋賢二の初短編小説と森博嗣の読み切りが載っていた。

これが予想以上に素晴らしかった。

土屋賢二の考えた小説は対談の中であった森博嗣のアドアバイスを受けて書かれたものと思われるが、正直トリックはクソみたいなものである。だがそこは土屋賢二である。登場人物たちの会話は彼のエッセイに出てくるそれそのもので、読みながら笑いを堪えるのが辛かった。

対して森博嗣である。これも素晴らしい。というか凄い。もしかしたら森博嗣土屋賢二のファンなのかもしれない。掲載されている短編を読んでいると、森博嗣が意外とノリノリで書いている雰囲気が伝わってきた。

なので彼らの対談はまあ60点というところだったが、巻末の短編小説は100点だった。この本を選んで正解である。

 

以下にこの本を読む上でのポイントをまとめておく。興味のある方は参考にされたし。

 

・対談の中身はほぼ森博嗣の異常性を伝えるもの。

土屋賢二は終始驚いているだけ。エッセイのような掛け合いはほぼない。

・勉強になるような深い話は一切なし。雑談。

・巻末の短編小説が最高。これだけでも十分価値がある。

 

以上。