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俺だってヒーローになりてえよ

圧倒的な読書量と端から忘却していく貧相な記憶力、ふざけた文章を駆使するポンコツブロガー。 同情されているのか、やたらとオススメ本や漫画が売れている。月間250冊以上。 バカなことを書いて怒られること多し。

頼りない「たしかなもの」を見つける 岡田淳『二分間の冒険』

心に残る児童書


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どうも。

オススメ児童書の紹介である。

 

あらすじなど

二分間の冒険 (偕成社文庫)

岡田 淳 偕成社 1991-07
売り上げランキング : 2440
by ヨメレバ

たった二分間で冒険? 信じられないかもしれません。でもこれは、六年生の悟に本当に起こったこと。体育館を抜け出して、ふしぎな黒猫に出会った時から、悟の長い長い二分間の大冒険が始まります。 

これはAmazonの紹介文なのだが、これだけだと全く内容が伝わらないので、少しだけ補足させてもらう。

ふしぎな黒猫に出会った悟は、異世界に連れて行かれる。そこで姿の見えない黒猫から「この世界で一番たしかなものを見つけ出せば、元の世界に戻してやろう」と言われる。しかし一体ここは?何も分からない異世界で、想像を越えた少年の孤独な戦いが幕開ける。 

まあよくある異世界にワープしてしまって、そこからいかに脱出するか、というやつなのだが、期待してくれて構わない。なんせ作者はあの岡田淳である。普通の作品ではないのだ。

たしかなものを持っていた

主人公の悟は、突然連れてこられた異世界でなにひとつ分からない状態で、冒険をスタートさせる。しかも場所は森の中。さらには夜も更けようとしている時間である。文字通り手探りの状態であった。

物語の肝は上記の通り、「たしかなもの」を見つけることになる。

そのために仲間を作ったり、強力な武器を手に入れたり、知恵を絞ったり、困難に立ち向かったり、挫折したりする。

まあこの辺りは実際に読んで確かめてもらいたい。未読の楽しみは奪いたくない。

私が読んでいて思ったのは、私がもっと幼かった頃の記憶である。それは記憶というにはいささか頼りなく、印象という程度のものであるが、私は幼かった頃、常に胸に「たしかなもの」を持っていたような気がする。無敵感とでも言おうか。

それは私の4歳の息子を見ていても感じる。

彼は一日のほとんどの時間を「自分は無敵だ」と思って過ごしているように見える。それを自信というのか、無知ゆえの愚かさと呼ぶのかは正直分からない。

 

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徐々に失っていく「たしかなもの」

しかし生きていく中で、ルールを知ったり、自分の価値観を揺るがすような出来事に出会ったり、否定されたり…、まあ良く言えば成長していく中で、少しずつ自分の中の「たしかなもの」を失っていく。自分がヒーローではないと気付いていく。それはひどく自然なことである。

たしかなものを失った私たちはどうしてきたか?

これは簡単な話だ。

私たちはひどく弱い生き物なので、不確かな状態では生きて行けなかったりする。そこには安定を見つけることができない。

だからまた新たな「たしかなこと」を見つけようとする。日々の生活の中で、冒険の中で「これはたしかなことだな」と思えることを見つける。見つけないとやってられない。

そういったものの積み重ねが、考え方や価値観になり、いつかは「己」というよく分からないものを形成していく。

始めからたしかなものはない

ここでポイントになるのが、「初めからたしかなものなどない」ということだ。

もしあるとしたら、それはあなたが「これはたしかなものである」と盲目的に信じきっているだけだ。

疑惑は信仰の始まりと言われるが、新たに得た「たしかなことらしきもの」を自分の中で、「これは本当にたしかなことなのか?」「いやちょっと違うな、こうかな?」というふうに日々の中でブラッシュアップしていくことで、いつか「たしかなこと」になるのだ。不確かなことが「たしかなこと」になっていくのだ。

最初からたしかなことというのは、卵から鶏が生まれないのと一緒で、段階を踏まないとありえないのだ。ピカチュウだってライチュウになる途中である。まあ関係の話だがな。

頼りないたしかなこと

私たちの人生というのは、このようにひとつひとつ「頼りないたしかなこと」を積み上げていく作業なのかもしれない。

本を開けば、ネットで検索すれば、世の中の多くの人が勝手なことを断言している。「人生とはこういうものだ」「こうあるべきだ」「これが正しい」「これは間違っている」

言葉だけや言っている人だけを見てしまうと、「やべえ!たしかなこと発見!」とエレクトしてしまうかもしれないが、それは幻想である。

幻想は幻想で面白いかもしれないが、幻想であると認識することは自分の人生を生きる上で非常に大事なことだと断言しておく。←これが勝手

あとがきが効いている

さて、以上が『二分間の冒険』を読んでいて私が感じたことなのだが、最後の最後でいいパンチを貰った。あとがきのことである。

きっと私はこういう経験をしたいから本を読んでいるのだろう。それくらい気持ちよく殴られた。

たぶん、本文を楽しむ上では障害にならないと思うので一部引用させていただく。

 

日本の児童文学の世界には「人生いかに生きるか」とか、「社会のゆがみにいかにたちむかうか」といった作品に高い評価があたえられる傾向があり、そういう基準で物語をながめる人が多いからです。

その結果、物語というものがもっている<どきどき、わくわく>する<おもしろさ>がかるく見られ、物語のなかの<意味だけを抜き出す誤った読み方>が正しいと思われる場合もありました。しかし、一匹の魚から骨だけを抜き出して、「これが魚である」と言ってみても、魚を理解したり味わったりすることにはなりません。

 

物語の寓意だけを見たがるのはやはり人間が「たしかなこと」を追い求める習性ゆえのことだと思える。

本質を見ようとするばかりにもっと大事な「楽しむこと」を忘れてしまうというのは、なかなか皮肉が効いていて愉快である。

 

「頼りないたしかなこと」、それを楽しめる人生にしたいものである。

 

以上。

 

二分間の冒険 (偕成社文庫)

岡田 淳 偕成社 1991-07
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