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『ドラゴンヘッド』は駄作なのか。物語は結末だけで評価されるべきか?

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どうも。ひろたつです。

今回は我が青春に侵食した怪作のご紹介。

 

駄作?傑作?

Amazonのレビューを読んでみたら、あまりにも賛否っぷりが凄くて笑ってしまったのだが、皆さんの怨念を晴らすために、フォローを入れさせてもらう。

 

最初に結論を書いておくが、『ドラゴンヘッド』は間違いなく傑作である。

賛否の“否”の人は『ドラゴンヘッド』の面白さをただ単に勘違いしているだけだ。

 

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まずは内容紹介

650万部とかなり売れた作品ではあるが、いかんせん1999年に連載が終了した作品である。知らない人も多かろうと思うので、ざっとあらすじを紹介しよう。

 

ドラゴンヘッド(1) (ヤンマガKCスペシャル)

望月 峯太郎 講談社 1995-03-01
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by ヨメレバ

wikiの説明だとこんな感じ。

修学旅行の帰途、突如発生した大地震により、主人公青木輝(テル)らの乗車していた新幹線は浜松付近のトンネルで脱線事故を起こしてしまう。出入り口は崩壊し、外界と完全に遮断されたトンネル内で、3人の生存者、テル、アコ、ノブオは救助の可能性に望みをかけて絶望的な状況を生きのびる術を模索する。死と表裏一体の極限状態に追い込まれた少年達の苦悩とそれに伴う狂気と暴力、災害で荒廃した世界を背景に人間の本質と「究極の恐怖」を描く。

ここには書かれていないが、主人公たちが遭遇した災害というのは「富士山噴火」である。ここを物語のフックにしながら、読者をグイグイと引っ張る作品である。

謎や異常事態が好きな人には堪らない作品となっていて、人によっては強烈な中毒症状を起こすだろう。もちろん私もそうだった。

異常事態に翻弄される主人公たちを読者は見ながら、「人間の本性とは」「感情の必要性」「生きることの意味」などを考えることになるだろう。中2を虜にするために存在するような作品である。

謎が読者を中毒患者に仕立て上げる 

『ドラゴンヘッド』に魅力は数々あるだろうが、それでもとりわけ読者を熱狂させたのはやはり予測不可能な「展開」にあると思う。

 

「この先、主人公たちはどうなるのか?」

「味方のように見えるこの人たちは本当に安全なのか?」

「というか、そもそもこの物語をどうやって終わりにさせるのか?」 

 

これらはすべて『ドラゴンヘッド』という作品に内包されている“謎”である。

主人公を、そして読者を正体不明の世界へ放り込み、圧倒的な謎で囲い込み、中毒者に仕立て上げる。そんな手法の先駆けが『ドラゴンヘッド』だったわけだ。最近は完全にこれがひとつのジャンルとして確立されたように思う。

裏切られた読者

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さて、そんな多数の中毒者を排出した罪深き『ドラゴンヘッド』は、更に罪深い行いをしてしまった。

それがAmazonのレビューでボロクソに書かれている「尻すぼみな結末」である。

あれだけ読者を謎で引っ張り倒し、数々の異常事態を目撃させておいて、結局謎の正体は明かさず、主人公たちの行く末も分からないまま。

放り投げられてしまった読者は激怒した。

そしてその怒りを作品の評価へと直結させることにした。それまで散々楽しませてもらったくせに、ちょっと理不尽な思いをさせられたら、相手に理不尽な行為で仕返しする。

きっと彼らは思ったのだろう。「裏切られた」と。

読者が物語を読み進める理由 

謎の魅力にやられた経験がある人ならお分かりだと思うが、物語を読み進める上で作中の“謎”ってやつは強力な「読み進める理由」になりえる。

そう、物語を読むのにも理由があるのだ。

 

例えば悲運の主人公がいたとする。彼は恋人をかつての友人に蹂躙され、復讐に燃えている。しかしその友人は悪魔に魂を売り、以前とは全く違う姿と、そして力を得ている。

なんていう物語の場合、謎はほとんどない。では何が読者の「読み進める理由」になりえるかと言うと、「ストレスの浄化」である。

 

もしかしたらお分かりかもしれないが、上記の例はまんま『ベルセルク』である。

この世界中でクソほど売れまくっている物語では『ドラゴンヘッド』のような謎は存在せず、ただひたすらに主人公ガッツたちの行く末を見守るだけになっている。

だって、ベルセルクがどんな展開を迎えようとも、結局はグリフィスを倒すのが最終目的なのは誰にも明らかである。

そんな明らかな物語を何千万人もの人が見守っているのは、ベルセルクの物語内で受けたストレス(色々あると思うけど、代表的なのがキャスカの陵辱)をいつかは発散したいと思っているからだ。モヤモヤしちゃってこのままじゃ終われん、って感じだと思う。

基本的に「謎」か「ストレスの浄化」、この2つしか、物語を読み進める理由ってのはないと思う。

 

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どうやって評価するべきか?

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結局のところ、『ドラゴンヘッド』をクソだと評価している人は、自分があれだけ物語に翻弄され、期待した挙句、自分が理想とする結末を用意してくれなかったことに対して怒り狂っているのだと思う。

確かに唐突だとは思う。やりようによってはもっと「お涙頂戴」的な結末や展開を用意することはできたと思う。

だがだ。

今でこそ「謎で読者を翻弄する作品」というのはありふれているが、当時は非常に稀有な作品だったのだ。マンガという媒体の限界を模索し、新しい地平を切り開いていたからこそ『ドラゴンヘッド』に多くの人たちが魅了されたのだ。凡百の作品ではなかったのだ。

そんな“新しい作品”である『ドラゴンヘッド』。普通に終わらせるべきだろうか。

お涙頂戴の展開で終わらせるべきだっただろうか。離れ離れになった家族と再開して大団円なんてので構わないのだろうか?

それとも謎のすべてが綺麗サッパリ解消し(それがどんな状態なのかサッパリ想像できないが)読者がスッキリして終われば良かったのだろうか?

新しい作品に必要なもの

もしそう思うのであれば甘いと言わせてもらおう。

『ドラゴンヘッド』は常に独自の物語を紡いできた。結末を酷評してきた人にもう一度思い出してもらいたい。

あなたがあの物語世界に魅了された最初、ノブオの異常性に圧倒された瞬間。次々と展開される得体の知れない“何か”。何を考えているのか読めない登場人物たち。

そのすべてはあなたの想像を越えていたはずだし、そのどれもが既存の物語とは一線を画していたはずだ。

 

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新しい作品とはつまり、今まで誰もやっていないことに手を出すことである。

だからこそ価値が生まれる。

その価値を生み出すために作者は想像力の限りを尽くすのだ。

それはときに読者を置いていってしまうこともあるかもしれない。しかし、新しいものと大衆の不理解は付き物である

 

大衆の不理解を恐れず、挑戦した者にしか新しい作品は生み出せないのだ。

 

『ドラゴンヘッド』の結末は確かに定型文ではないかもしれない。そのせいで、付いてこれない読者が生まれてしまったのも頷ける。

しかし、その痛みは新しい作品としての“”なのだと私は確信している。

むしろ不理解を得られない作品に新しさはないのだ。

 

以上。

 

ドラゴンヘッド(10) (ヤンマガKCスペシャル)

望月 峯太郎 講談社 2000-04-19
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