どうも。このブログの数少ない人気記事にポルカドットスティングレイのものがある。
どちらも適当に書き散らかした記事にも関わらず、皆様に喜んでいただき誠に感謝感謝である。パソコンのディスプレイの前で鼻くそをほじりながら頭を垂れる次第だ。思わず指が鼻を貫通しそうになってしまった。
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待望の新曲発表!
さて、そんなどうでもいい話はどうでもいいとして。
ポルカドットスティングレイがこのたび新曲『エレクトリック・パブリック』を発表した。
ということは、これまで彼女たちの記事を数々したためてきたこのブログとしては放っておくわけにはいかないだろう。
でも本当のことを言えば、私の中ではもうポルカについてわざわざ書く必要もない気がしていた。以前は「こんな面白いバンドがいるのだから、みんなに知ってもらわなければ!」という地下アイドルの信者みたいな心境でいたからだ。
では今は、と言えばだ。
もう彼女たちは売れたと思う。
なんせグーグルのCMにだって採用されるレベルだ。公共放送に乗っかるレベルのバンドをこんなごみ溜めみたいなブログで書いたら、逆に品位が落ちるというものである。
Android : トリセツ MV「Google フォトはいってる」
でもなぜか私は今こうやって、ポルカの新記事を執筆している。
別に彼女たちの品位を貶めたい訳ではない。ぜひともこのまま人気バンド街道を突っ走っていただきたいと心の底から願っている。(売れればいくらか私の懐に入るから)どうか途中でバンドメンバーの性欲の問題とかで転んだりしないで欲しいと切に願っている。
禁断の手法にお気付きか
またしてもどうでもいい話をしてしまった。
なぜ私がまたしてもポルカの記事を書こうとしたのか、という話である。
お気付きだっただろうか。新曲MV『エレクトリック・パブリック』で、今までのポルカでは考えられないようなある“禁断の手法”が用いられている。
この発見をしてしまったもんだから、私は重い腰を上げ、今こうして必死にキーボードを叩き続けているのだ。
一回確認してもらおう。
ポルカドットスティングレイ「エレクトリック・パブリック」MV
どうだろうか、皆さん、お気付きになられただろうか。
全然分からない、という天使のように綺麗な心の持ち主である方は、どうかこのままブラウザバックしてもらいたい。これから私が語る“禁断の方法”は、心の汚い人間だけが気にするような類のものである。知った所で人生にはまったく必要ない知識である。ただ、ちょっとしたスパイスにはなるかもしれんが…。
少々勿体ぶりすぎたかもしれない。
その禁断の手法とは…
サダヲアングル封印
これである。
ボーカルの雫(本名)はとんでもない美人で、彼女の変幻自在ともいえる美貌によって多くのリスナーが音楽とは別の入り口から下衆な顔をしながらファンになっている。
例えばそれはバニーであり、にゃんにゃんであり、濡れ髪であり、新曲の『エレクトリック・パブリック』でいえば皮スーツや仮面である。どれもハッとするほど美しい。
だがご存知だろうか。
彼女にはもうひとつの顔が存在することを。
雫は美女だが、ある角度から見ると阿部サダヲとまったく同じ顔になる、という奇っ怪な習性があるのだ。この角度のことをファンの間では“サダヲアングル”と呼ぶ。
※参考画像
ちなみに本家はこちら。本家ってのもおかしいけど。
似すぎてびっくりさせたかもしれない。もちろん同じ人物の画像を並べたわけではない。間違いなく、前者がポルカドットスティングレイの雫であり、後者が大人計画の阿部サダヲである。じっくり確認してもらえれば分かってもらえると思う。逆に見分けがつかなくなる可能性もあるが。
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本当に封印されてしまったのか?
今までのポルカのMVでは、バンドの紅一点である雫の美貌を最大限に活かしているが、どこかしらで必ず雫がサダヲアングルを披露する「サダヲポイント」を設けてくれていた。
ファンとしてはそれを込みでポルカドットスティングレイの魅力と認識しており、私ぐらいのポルカ愛好家になるとサダヲポイントで一時停止させて、それを肴に酒を飲むぐらいである。ちなみに私は極度の下戸である。
それが、だ。『エレクトリック・パブリック』では、頑なに雫は正面を向いてくれない。あの麗しい顔がサダヲになる瞬間を徹底的に排除している。つまりサダヲアングルを封印してしまったのだ…!!なんということだ。これじゃあもうポルカのMVを観る楽しみがなくなってしまったじゃないか。
…いや、待てよ。今もう一度MVを見返してみたら、一瞬だけあった。真正面を向いてくれている瞬間。絶好のサダヲポイントが。いやー、良かった良かった…
…って、仮面?! そりゃねぇよっ!俺のサダヲを返せ!
これは完全に殺しにかかっている。サダヲサダヲと囃し立てるバカなファンどもを殺しに。
バカなファンよ、死ね
落ち着いて考えてみればさ、バンドって音楽を楽しむものじゃん?なんだよサダヲアングルって。なんだよサダヲポイントって。頭沸いてんじゃねえの?みんなどうかしてるよ。確かに殺されるべきだよ、お前らみたいな腐ったファンは。もっと純粋にポルカの音楽を楽しめって。
とは言ったものの、サダヲアングルの素晴らしさはやはり疑いようがないのも事実。
雫自身がどう思っているかは想像に難くない。さすがの私だって、女性が「サダヲ」呼ばわりされて喜ぶとは思っていない。自分が美輪明宏に似てるとか言われても喜ばないようにだ。大丈夫、例えに出す人選が微妙だってことも織り込み済みだ。
とりあえず落ち着いてちょっと聞いてほしい。なぜこんなにもサダヲアングルを愛しているかを。
美しさというものを考えたとき、究極に研ぎ澄まされた美しさを女性はすぐに求めてしまうが、それは違うと思う。
人間というものはそもそも不完全な生き物だ。不完全を内包しているからこそ人間だとも言える。
ポルカドットスティングレイのMVの中で、紅一点の雫は作品の完成度を上げるために、ひたすら「美」を追求している。その様は「完璧」と呼ぶに相応しいかもしれない。
だが、そのままではあまりにも人間性が無さすぎる。人間特有の美しさは、やはり不完全さから生まれるのだ。
そこまでの美女でなくても、女性アスリートが必死に競技に望む姿は美しいし、泣き崩れる女性もまた美しい。完璧であることは「美」とイコールにならないのだ。ときに欠損こそが美しさを生む。
となると、やっぱりサダヲアングルにこそ、雫嬢の美しさは現れるのではないだろうか。
なんていうのは、ただ単にサダヲアングルを正当化するために今、適当に考えたことである。どうか騙されたままでいて欲しい。一緒にバカなファンとして私と死んで欲しい。
自分なりのサダヲを求めて
さあ、もうこのふざけた記事もそろそろお終いにしよう。悪ふざけだっていつかは終わりがくるものだ。
“サダヲアングル封印”
きっと完全に心が腐りきっているファンは、この事実をまともに受け入れられないかもしれない。はっきり言って私だってそうだ。愛しのサダヲアングルを見られないなんて、赤ちゃんに「乳首禁止」って言ってるようなものだから。
ただ赤子に言葉が通じないように、腐ったファンに禁止した所で彼らは何も変わらないだろう。きっと彼らは次なる「サダヲアングル」を求めるはずだ。
私はまだその域に達していないものの、いつかはこの心の穴を埋めるべく、自分なりのサダヲポイントを見つけるだろう。
っていうか、そんなにサダヲが見たいなら、サダヲ本人でも見てろって話である。
以上。楽曲とはまったく関係のない記事であった。
結局ポルカの品位を貶めただけのような気もしないでもないが、『夢売るふたり』でも観て何もかも忘れてサダヲに溺れたいと思う次第である。