俺だってヒーローになりてえよ

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東野圭吾が限界を突破した作品。『ある閉ざされた雪の山荘で』

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どうも。

東野圭吾が推理小説の限界に挑戦した作品を紹介する。

内容紹介

ある閉ざされた雪の山荘で (講談社文庫)

東野 圭吾 講談社 1996-01-11
売り上げランキング : 13271
by ヨメレバ

早春の乗鞍高原のペンションに集まったのは、オーディションに合格した若き男女七名。これから舞台稽古が始まるのだ。豪雪に襲われ孤立した山荘での殺人劇である。だが一人また一人、現実に仲間が消えていくにつれ、彼らの中に疑惑が生じる。果してこれは本当に芝居なのか、と。一度限りの大技、読者を直撃。 

まず最初に言っておこう。

 

この作品であなたは必ず欺かれる。

 

あまりこういうことは書きたくない。それだけで疑心暗鬼になり、ネタバレに繋がるからだ。だが、この挑戦的なタイトルは、明らかに東野圭吾が読者に勝負を仕掛けている。

本来であればオススメをするときにわざわざハードルを上げたくはない。しかし東野圭吾の意気込みを買って、私も倣いたいと思う。

 

この作品はあなたを欺くために存在する。

 

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東野圭吾が模索していた時代

この『ある閉ざされた雪の山荘で』が発表されたのは1992年。彼はこの時期、非常に野心的な作品を連発しており、そのどれもが弩級の面白さだった。才能のたがが外れたようであった。

 

ちょっと代表的な作品を見てみよう。

 

名探偵の掟 1996年

怪笑小説 1995年

どちらかが彼女を殺した 1996年

悪意 1996年

むかし僕が死んだ家 1994年

天空の蜂 1995年

秘密 1998年

白夜行 1999年

 

これらがごっそりまとめて生まれた時代だった。

他にもたくさんの著作を発表している。詳しくは東野圭吾のwikiを見てもらいたいのだが、それよりも注目してもらいたいことがある。

実はここに挙げた作品たちを抜き出したのには理由がある。

分かりにくいかも知れないが、これらは推理小説という大きな枠組みの中で、かなり作風の違うものなのだ。

 

例えば一番分かりやすいのが、白夜行だと思う。これは広義のミステリーに含まれる「ノワール」というジャンルである。暗黒小説とも言われるこのジャンルの特徴は、謎そのものよりも文体や作品の雰囲気を重視するというものである。暗く、陰鬱で、ときに暴力を主体とした作品が多い。このジャンルの大家といえば馳星周がいる。

 

それまでの東野圭吾作品とは一線を画する作品である。あまりも作風が違う。

だがそれでも多くの方がご存知の通り、『白夜行』は紛うことなき傑作である。ノワールの名手である馳星周をして「名作」と称されている。

 

他の作品にも色々な話ができるのだが、ここでは控えておく。

とにかく私が伝えたいのは、東野圭吾は『ある閉ざされた雪の山荘で』を発表して以降、自分の限界を模索するように、あらゆるジャンルに手を出すようになったという事実である。

今でこそあらゆるジャンルを書ける作家として有名な東野圭吾だが、そのきっかけは『ある閉ざされた雪の山荘で』であると私は考えている。

推理小説の限界

東野圭吾はあるテーマを抱いた。

それは「推理小説の可能性は出し尽くしてやる」と。

この決意から生み出されたのが、今回紹介する『ある閉ざされた雪の山荘で』だったり、私が東野圭吾の最高傑作に挙げる『仮面山荘殺人事件』や、『秘密』などである。

どれも順位付けするのに気が引けるほどの傑作である。どれもぜひ読んでもらいたい。

私も数々の推理小説を読んできた。きっと500~600冊は読んでいると思う。適当な数だけど。

それくらい読んでくると、ある程度パターンが分かってくる。確かにあの手この手で騙されるのだが、新しい手法はもう出てこないのではないかと思ってしまうぐらい、クリスティの時代から変わっていないのが現実である。

しかしだからと言って嘆いていても仕方ない。江戸川乱歩賞を受賞してデビューした東野圭吾である。推理作家として、推理小説の限界に挑戦することにしたわけだ。

彼の挑戦のかいもあり、上に挙げたような傑作が生まれた。読者としてはありがたい話である。

しかしそれと同時に失うものもあった。やはり推理小説には限界があることが分かってしまった。東野圭吾は読者を欺くことからは一定の距離を置いて作品を書くようになってしまった。

それは東野圭吾から極上の推理小説が誕生しないことを意味していた。

数少ない突破した作品

色々な作品はあれど、推理小説というのは結局のところ「いかに読者を騙すか?」で勝負をすることになる。

その土俵で闘い続けることができる作家はあまりいない。たぶん私が知る限りじゃ片手で収まると思う。(抗い続けている作家は多いが、才能が枯れて通用していない)

東野圭吾も土俵から降りた人間だが、それでも彼が最後の最後で足掻いて生み出した傑作の評価は変わることはない。

確かに東野圭吾は推理小説の限界を作り出してくれたのだった。

これはつまり東野圭吾自身の限界でもある。彼が考え抜いた先にたどり着いたひとつの到達点が『ある閉ざされた雪の山荘で』なのだ。

 

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読者は選ぶ

『ある閉ざされた雪の山荘で』は傑作だ。小説としてという意味だと怯んでしまうが、推理小説というジャンルで言えば、間違いなく傑作だと胸を張って言える。読者を欺くために東野圭吾が知恵を絞っただけはある。

だがそんな傑作ではあるが、一点だけ難点がある。

読者を選ぶのだ。

ある程度の推理小説慣れをしていないと楽しめないだろう。

最初にも書いたが、『ある閉ざされた雪の山荘で』というタイトルからして、読者に「閉ざされた雪の山荘ものに可能性は感じないでしょ?」という挑発が含まれている。それを感じ取れるぐらいの人でなければ通用しないだろう。

だからもし、あなたがまだ推理小説の初心者なのであれば、もう少し、それこそ10~20冊ぐらいは推理小説を読んでから手を出してもらいたい。さらに言うならば、雪の山荘もの(推理小説用語で「クローズド・サークル」と呼ぶ)が良いと思う。

クローズド・サークルものの定番はこちら。

orehero.hateblo.jp

やはりバケモノだったか

私のような一般人の感覚だと、作家というのは多作で薄いか遅筆で濃いかどちらかだと思っていた。例えるなら、前者が西村京太郎で、後者が貴志祐介。漫画家で例えると、前者が鳥山明、後者が冨樫。まあどうでもいいか。

しかし東野圭吾は違う。

上質な作品をこれでもか、と発表してしまう。量も質も兼ね備えているという作家としては無敵の状態である。森博嗣もなかなかだが、彼の場合またちょっと違う毛色だし、東野圭吾ほど作品の幅がない。量に特化した作家だと思うし、彼自身も「売れる本は書けないから、10倍生産しよう」と考えていたそうだ。

今は若干作品が薄くなりつつあるがそれでもバケモノ級であることは間違いないと思う。

そしてそんなバケモノの全盛期に発表されたのが『ある閉ざされた雪の山荘で』である。

東野圭吾ファンであれば彼のバケモノっぷりに度肝を抜かれるはずだ。こんな飛び抜けた発想力まで持っているのかと、恐怖さえ覚えるかもしれない。

 

東野圭吾が、推理小説というジャンルそのもの蹂躙した作品である。

ぜひ堪能していただきたい。

 

以上。

ある閉ざされた雪の山荘で (講談社文庫)

東野 圭吾 講談社 1996-01-11
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